音楽療法士コースの卒論、打楽器専修の卒試が終わり、残すは卒業認定発表のみとなりました。音大生四年目の冬。

演奏科の4年間の締め括りとなる卒業試験は、打楽器専攻生は持ち時間一人30分の演奏会形式です(30分で収まるなら何曲やってもいい)。

私は池辺晋一郎さんの『MONOVALENCE Ⅳ ―マリンバ等のために―』を選曲しました。演奏にはマレットやバチではなく、掌とあらゆる指の部位を使う、弱音集中のとても面白い曲です。


なにしろ音盤を指の関節で叩いたり、爪や指腹を使って音を鳴らす「「超弱音音楽」」なもので、
ホールの深い響きと客席の身動きひとつない緊張感の中で演奏できたことは、本当に本当に貴重な経験でした。


ご指導頂いた先生、レアキャラに「碧さーん!」って話しかけてくれるかわいい後輩、手伝ってくれた1年生、そして同期、本当にありがとうございました。


さて、
昨年から音楽療法ボランティアでお世話になっている施設の職員さんと、1年間ってあっという間ですねーというお話をしていて、改めて今年1年を思い返しました。

何が変わったかなぁ。

全部変わったよなぁ。

人間関係に関しては男女の境無く、特定の人と深く関わるようになることは絶対に周りの人間関係をも動かすことを知りました。

なんというか、細かくかさばっているシーソーみたいなものがあって、自分が少しそっちに寄るとあっちとこっちが動く、みたいな感じ。

それは、その人とその周りの人の協働と、動くことでの自分自身への影響と、
いろいろが関係しているんだろうけれど、

動いてみれば自分自身含め人間を知る鏡は至るところにあるんだと、ちょいちょい怪我しながら学習しました。

いろいろ思い出してたらまた動くの億劫になってしまっていますが…出会いと音楽もまた協働、さぼらずにこれからもはたらきます。



未熟者の日和っ子ではありますが、恐れながら駆け出し音楽療法士としての個人的な目標などを。

音楽療法について、『音楽を使って人を癒して、元気にするものなんだよね』と言われることがあります。
もちろん正解です。
ただ、『癒される』『元気になる』というのは音楽のもつ性質のことを言っているだけであって『音楽療法』そのものの説明としては不的確だと思います(…音楽療法の定義は『療法士さん』によって様々なのだそうです)。

私が思う音楽療法での音楽は、セラピストとクライアントとの間を埋める、繋ぐ、通じさせるもので、
糸電話の糸や無線のインカムみたいな、その人に合った「自己理解・伝達方法」を探り、目標を手繰り寄せる手段でありたい思っています。

言葉・表情・仕草や動作…といったコミュニケーションの手段に音楽が並ぶ感じです。

ですから、ここでの音楽は当事者同士を「演奏会のように聴き手↔演奏者」にするのではなく対等な「お喋り相手」にします。馴れない言葉(演奏)に詰まった際に「こういうこと?」と反復・言い換えすることはあっても、押し付けるようなことはしません。

クライアントが喋ることをセラピストは聞き、相槌を打ち、こんなのはどう?と提案をし、やがて二人の間に出てきたものを拾っていきます。

一方から出てきた演奏を一方が紐解きながら、慣れ親しんだ「自己理解・伝達方法」では踏み込めなかったところを開拓していくことが、音楽療法の音楽に与えられた使命、その補助をすることが音楽療法士の勤めだと思います。



エレクトーンに始まりピアノ打楽器と音楽を20年間やってきて、
ステージが苦痛な時期を経てどうしても音楽からは離れられず、諦められず、
今「大人の世界」を前にして私がやりたいことは、



音楽で人と繋がること、です。

これからはじめてのことが沢山ある。
分からないことが沢山ある。



長くなりました…


頑張ります。