あの日の子どもたちはどんな人生を送ってきたのか

80年前に被爆した子供たちを

撮り続けてきた写真家土田ヒロミさん85歳

世界で初めて原子爆弾が落とされた被爆地ヒロシマ

被爆から80年土田さんは何を切り取るのでしようか

土田さんの最後の撮影は今年の1月に始まりました

百合子さんは9歳の時 爆心地から1.2㌔で被爆しました

2人が出会うきっかけとなった作文集『原爆の子』

当時社会に大きな衝撃を与えました

作文を書いたのは小学生から大学生までの180人余り

もともと土田さんは広島にゆかりがある有るわけではありません。

戦時中に福井で生まれ32歳の時に写真家として独立した

日本全国を訪ねて移り行く時代と共に生きる人々を

写し出してきました。

被爆から80年 撮影は難航していました

過っては107人の消息を掴んでいましたが今回本人に

直接連絡が取れたのは僅か8人になってしまいました。

写真だけには映らない日常の生活のなかで皆さんがしまい込んでいる

悲しみも見えないヒロシマがそこにある。

田中さちこさん85歳ご主人は陽気な方でしたね

私と一緒に原爆の日はお参りしてくれてたんですけどね・・・

子どもは2人とも亡くなって、私は1人になってしまいましたね。

また1人なったと語る田中さんは、撮影も終わりにしたいと..

最後にお2人の写真をお願いしたいしました。

悲しみを引っ張り出したり苦しみを引っ張り出したりした

彼らに対する深い所の罪から解放される事は無いと思う

土田さんにはずっ気になっていた男性がいます

俺は映りたくないってずっと仰っていて後ろ姿ならと

それでも良いからとお願いしたところ

こういう写真で彼は自分の意表してくれたんです

自分の子供たちに差別とか影響が出るから被爆者であることを

表に出したくない!それが被爆者の特性だと思います。

最初の撮影から50年 男性の気持ちは変わっていないのか・・・

郵便受けに土田さんはメモを残してましたが

後日家族から男性は数年前に亡くなったと知らせがありました。

8月土田さんは所在が分からなくなっていた ある原爆の子のもとへ

向かっていました 12歳で被爆した黒岩百合子さん最初の撮影の時

夫婦で喫茶店を営んでいました

作文には大怪我をして亡くなった母親の事を記してあります

ああ、何という変わり果てた母の姿であったであろう

首から上は布切れでぐるぐると巻き付けられ僅に見える目と鼻と口は

私の魂を異様な恐怖へと追いやった72歳の黒岩さん

被爆死の母の齢を疾く生きて老いと

向き合い茗荷を刻む

20年ぶりの黒岩さんは施設で暮らしていました。

母の記憶はまったくありません、もうね、脳の方が勝手にもう

思い出すなと命令したんだと思います、だから何にも出てきません

母は今から思えば綺麗な人だったと言うことでございましたよ。

そして、記念にと息子さんとの並んでの写真は最高の思いです

被爆地そのものが現実感を失ってきているんだと思いますね

被爆者であることを背負って矛盾の中で生き抜いてきた事を

若い人に知らしめるためにも

そういう強い彼らたちの生き方みたいなものを...

今年も灯篭流しが行こなわれました。