「毒親」という言葉が、世間でちらほらと聞かれるようになったのは
いつからでしょうか。
2018年頃かな。私は、書店が好きなので、
仕事帰りに、よく通って、立ち読みをしていました。
仕事も司書で、一日、書籍を扱っているというのに、
ほとんどビョーキなくらい本が好きです。
そのいつもの書店で、コミックエッセイを読むのが好きで、
その日、手に取った「毒親」に関するコミックエッセイを読んで
気が付きました。
立ち読みしながら、泣いてしまいました。
変な人だと、お客さんに思われたかな。恥ずかしい…
やっと気が付いたんです、47歳です、その時の私の年齢は。
遅すぎですよね。
「あーこれだったんだ、長年の両親への心の葛藤の総称は、毒親」
目から鱗! ぴったりの言葉だ。
産まれて最初の記憶は、洗面所でボロボロのタオルケットを握りしめて、泣いてる場面。
自家中毒になっていたのでした。
あと、覚えているのは、まばたきが止まらないチック症、頻尿。
幼稚園に上がる前の記憶だから、3歳くらいかな。
怖い記憶です。
私は、大学で教育学部卒。歴史を専攻し、児童心理も学びました。
だから、親の子どもに与える心理的影響の大きさを学んでいました。
しかし、毒親からの完璧な洗脳のせいで、
他人の可哀そうな子供たちの話だ、と
自分は両親に大切に育てられていると信じていました。
嫌な事ばかりされても、
躾の一環だ、私が駄目な子だから𠮟られるんだ、叩かれるんだと。
自分のことには気づけていなかった私は、
そんな大変な状況にいる子どもたちを、教育と手厚い対応で、
ひとりで生きてゆく強い力を付ける手助けをしたいと考えていました。
貧困や酷い親から逃げて、自分の人生を生きるには、
できるなら、たくさんの知識を手に入れ、
収入の高い仕事に就き、自立すること。
それしか、ないとわかっていたのに。
自分のことに関しては、全く、理解していなかったのです。
毒親、特に毒母は、ヒステリックでエキセントリックさで、私を幼い頃から
恐怖で縛り、完全にコントールしたのでした。
両親に、精神的虐待や身体的虐待を受けました。
「お前のためを思って」「いい子でいないと罰が当たるよ」
「お母さんが見ていないときでも、お天道様が見てるよ」「お前の前に流産で死んでしまった3人
の兄弟姉妹のためにも、3人分、頑張らないといけないよ」などと、
呪いの言葉をかけられ、
それをおかしいとも感じず、
両親の機嫌が悪くならないように、そればかりを気にして、生きてきました。
結婚した後も。
完全な、毒親の精神的、身体的奴隷の出来上がりです。
では、また。