神社で清めてきた
結論から言いますと
「念」を飛ばされておりました
なんでそれがわかったかというと
まず
自分の意識がふわっと遠のいて
事故りそうになったんですよ
(大丈夫だったんだけど本当にヤバかった、ヒヤリハットなやつ)
で、特に考え事してたわけでも悩んでたわけでも
体調悪かったわけでもないのに
なぜこんなことに??と思い
いろいろ調べてみたら
「憑依」というワードが出てきて
あーーもしかして
これはちょっと心当たりあるかもしれないぞ?と思い
誰かな?と意識を飛ばして探したら
……すぐ該当者現れた(笑)
その方は私を恨んでたわけではなく
自分の仲間にしたいと執着されていた方で
その念が飛ばされてたみたいでした。
縁切りのワークをして
(これで抜けたらビンゴやな)
と、思っていたら
縁切りワークが終わった途端に
スンッ( ˙꒳˙ )
あ、当たりだわ。
その後、朝もスッキリ起きられるし
ダルさもないし
食への執着も取れたし
はーーやっと楽になったかも。
まぁでもその後、夏至来たじゃないですか。
これ、夏至の日の写真ちゃうけど
夏至の夜は眠くて物凄く早く寝て
物凄く早く起きたんですけどね
朝になっていろいろと
ノートで棚卸ししていって
自分の感情あぶり出して
自分が無意識のうちに罪悪感や罰したい気持ちを抱いていた部分を見つけて
そこを一つ一つ許していきました。
周りの期待に応えない、ということが
周りの期待を裏切る、と
必ずしも一致するわけじゃない。
自然に任せる、委ねることが
責任放棄なわけじゃないし
揺さぶられることが
自分軸がないってことじゃない
何かに執着するのは
何かに夢中な証拠かもしれないし
(でも人間に執着するのは良いことないで笑)
移り気なのは
先見の明があるのかもしれない
(ただの飽き性の可能性の方が高い笑)
だから
自分を否定しないで
だけど
自分で決めるってことだけ忘れない。
オシャレな食事も自分の価値観次第
映えない朝ごはんでも幸せは同じ