名は体を表す。





不倫関係の投稿を見ていた時、ご自身のハンドルネームに「サレ妻」「サレ夫」とつけている方がたくさんいて驚いた。



(なぜ不倫関係の投稿を見ていたかの流れはこちら)




「サレ」は、不倫”され”た側。
反対に「シタ」は、不倫”した”側。


なぜ、自分の分身でもあるハンドルネームにそんな痛みを思い出させる言葉をつけるのだろう……


もちろん、その場所では「同じ経験をした人と繋がりたい」という気持ちがあるのだと思う。


孤独な苦しみを分かち合いたい。
共感してほしい。

分かりやすいフラグを立てたい、その気持ちはよく分かる。


でも、自分で自分に「サレ」「シタ」という肩書きを与え続けることは、毎日、自分自身にその出来事を名札のように貼り続けることになるんじゃないかな。


人は自分が何と名乗るかに引っ張られる。

「私、方向音痴だから」
「私、人見知りだから」

そう言い続けるうちに、本当にその通りの自分になっていってしまうよ。


「サレ妻」という名前を名乗り続ければ、自分の人生の軸が「不倫された私」になってしまう。


だけど、本当は違うはず。

あなたは「サレ」「シタ」だけで作られてない。

大声で笑うこともあるし、美味しいものを食べて幸せになる日もある。
仕事を頑張る自分もいれば、誰かを大切に思う自分もいる。


人生を一つの出来事で定義して名前として貼り付けてしまうには、あまりにも人は+人生は複雑で、もっと豊かだと思うのです。



たとえば。
子どもやペット、大切なものに名前をつける時、私たちは願いを込める。
 


健やかに育ってほしい。
幸せになってほしい。
その子らしく生きてほしい。


名前には愛情と祈りを乗せるもの。
願い、でもいい。
だったら自分自身につける名前も同じでいいんだ。

過去は変えられない。
でも、これから自分を何と呼ぶかは自分で選べる。
名前は、毎日いちばん多く目にする言葉であり、
自分が纏うものだから。


過去の傷を貼りつける名前ではなく、
これから幸せになってほしいと願える名前を、
少しでも心が軽くなるような名前を、
少しでも前を向ける名前を。


「名は体を表す」

そうだとしたら、名前は過去を語るものではなく、未来をつくる道しるべであってほしいと思います。



こちらは私の管理するnoteでも書いています。