先日のブログで、人は初めて見るものやこうあるべきものがそうでなかった場合は認識できないと書きました。
私にとっての阪神淡路大震災を書きます。
その頃、娘は小学1年生、自宅には猫が4匹おり、家族3人で東向きのマンションの6階に住んでいました。
実家は隣の南向きのマンションの10階にありました。
主人は台湾へ行っており、1月16日は私と娘の2人だけ。
あと、4匹の猫のうちの1匹が危篤状態でした。
主人からは、もし出張中にお別れが来たら霊園へ連れて行くよう言われていました。
16日、いよいよその猫もダメかと(21歳の老衰です)、ダンボールにタオルを敷いて寝かせ、私のベッドの横に置いてずっとさすりながら声をかけていました。
他の猫も様子を見に来たり、私も顔を見ていたかったので、ずっと電気は点けっぱなしです。
娘だけは隣の部屋でぐっすり眠っていました。
明け方になり、私は一服しようとリビングに向かいます。
リビングにはL字ソファーがあり、その背もたれの上にお行儀悪く座って、壁にもたれながら煙草を吸っていました。
ダイニングを抜けてリビングに向かうと、正面にソファーの背もたれがあるんです。
いつもそれをまたいで壁のあるところまでソファーの上を移動していました。そしてそのまま背もたれに座るんです。
なんで普通に床を回って来ないんでしょうねぇ。
でも今も同じ形でソファーが置いてあったらそうするかもしれません。
親が見ると怒るやつです。
我が家では誰も怒りません。
「あーもう朝かー」と煙草をふかしながらボーっとしてると、急にお尻と足の裏にあるはずのソファーが消えました。
あの感覚はどうお伝えすればよいかわかりません。
フリーフォールや、高速エレベーターの感覚?
一瞬、宙に浮きました。
マンション毎沈んだのだと思います。
元々不安定な座り方をしていたのでバランスを崩しましたが転げ落ちることはなく、「なに!?」と考えていると今度はドドドドドっとマンションが振動を始めました。
振り幅は小さく、でも振動は早く大きくです。
何が起こっているのかさっぱりわかりませんでした。
電気が付いてたので目には見えているのですが、それが何なのかさっぱりわからないのです。
家の中で道路工事が始まった?
そんなわけないよな
呑気ですよね。
でもそんなんでした。
地震って横揺れするもんだと思い込んでいたんです。
揺れるときはいつもゆらゆらーとした感じでしたので。
しばらくドドドドっと身体中に響いたあとです。
だんだんと大きく揺れ始めました。
とても速く大きくです。
そこで地震だと気づけばいいのですが、私はまだ気づいていませんでした。
ゆらゆらが速すぎて、やっぱり自分が思っている地震ではなかったのです。
何度も言いますが電気を点けていたのです。
全部見えていたんです。
電灯が踊っていました。
食器棚からお皿やカップがフリスビーのように飛んできました。
そして、冷蔵庫の上にすっぽり収まっていたガラスケースが開き、でっかい市松人形が頭から飛んできました。
私はそのときにやっと気づきました。
「ポルターガイストや
」
一瞬の間に私の頭の中は色んなことを理解しました。
「今、ミーシャン死んだんや
お前なに煙草吸っとんねん💢って怒りよったんや
」
そして私は一生懸命ミーシャンに謝ります。
「ごめんなさい❗️」
「ごめんなさい❗️」
「ごめんなさい❗️」
「あいつー、やっぱ怒らせたらあかん奴やったんや💧」
↑
ごめんなさいと言いながらも、こんなことも考えていました。
そのあとです。
やっと私の知っている地震になります。
といっても大きさはそれまで体験していたものとは比べものにならないくらいでしたが、大きくゆっくり揺れだしました。
マンションがポキンと折れると思うくらいに。
マンションの先端が直角まで曲がってると思わせるような揺れ方でした。
隣の部屋では娘がポルターガイストを見ていたようです。
その目は大きく見開いていましたが、泣くことも騒ぐこともなく、飛んでくる皿や人形をただだ見ていたようです。
そんな様子をソファーから見ていると、娘は次第に大きくなる揺れに逆らえず布団の上を右へ左へとコロコロ転がりだしました。
慌てて抑えにいきました💧
揺れが収まっても、いつまでもマンションが倒れていってるように感じて中々カーテンを開けに行けません。
恐る恐るベランダに近づき窓の外を見ると、あちこちの家に電気が点いて、そこで初めて「地震だ、うちだけじゃなかったんだ」と確信しました。
ミーシャンはまだ生きていました。
明るくなってから実家に向かうと、南向きのマンションのほうが惨憺たる有り様でした。
10階だったこともあるかもしれません。
弟の部屋には友達が泊まりに来ていて、弟はベッドの横に布団を敷いて寝ていたらしいのですが、
初めのズドンッときたときに目が覚め、目を開けると目の前に水槽があったそうです。
大型古代魚オタクだった弟の部屋にはデカい水槽が壁という壁に置かれていたのですが、そんな重さのあるものまで吹っ飛んでいました。
寝ている弟の目の前にあった水槽は重力に逆らわず弟の顔を目がけて落ち、あれって強化ガラスなんですね、弟の頭の形の穴が開いていました。
フローリングの弟の部屋全体が水深10cmくらいの巨大水槽にかわり、餌である金魚だけは何事もなかったように元気に泳いでいましたよ。
古代魚はショックと寒さから即死だったようです。
あ、でっかいナマズもいたんですが、何の前触れもなかったと弟が言ってました。
私の家も実家も、電気ガス水道のどれも止まることはありませんでしたが、そんな場所ですらこの状態でした。
宝塚のいとこのマンションは1階がつぶれ、いとこはその1階に住んでいましたが奇跡的に全員生きていました。
実家からは大阪湾が見渡せ、晴れた日は遠くに淡路島も見えます。
そんな実家から、何日もの間ずっと燃え続ける神戸の街が見えていました。
6000人超の方が亡くなり、復興には時間がかかっています。
ふと色んなことを思い出し、私の阪神淡路を書いてみました。