それは本当わたしが言うまでもなく悲しくやりきれなく虚しく切ないことです。
だってもう、会えないし、話せないのだから。
思い入れのある人の死ならばそれはもう心に穴があく思いです。
しかしながら誰かがなくなるということ、
これはまことビジネスの一環なのかもしれぬと思わされてしまう出来事も多くあります。
今年もたくさんのお別れがありました。
最近では水木しげるさんがなくなり、
彼は偉大な功績を残し多くの人に影響を与えたわけですが、
それはまぎれもないわけですが、
彼の死後突然よ、
わたしは彼にまつわるこんなことやりました!がんばりました!
わたしは彼のこんな作品にこの程度関わりました!(画像付き)
わたしはなんと!彼とこんな思い出を共有しておったのでした!ジャーン!
みたいなの、
わたし本当、反吐が出る思いです。
誰かにとって誰かの死がそういったものでしかないこと、
つまりは自分アピールの中に人の死が組み込まれること、
誰かの人生の中で誰かの死が、ただの死としてではなく何らかの役割を持たされること、
何だか無常、あんなに偉大で唯一無二の人でも、そうやってなんていうかよく分からぬ流れの中に組み込まれて何かの一部にされるんか、無常、
という思いがどうにもやりきれない。
ただきっとそれはわたしが嫌悪感を持ってインターネットを見ているからで、
彼らからしたら純粋な哀悼の意であるんだろうな、
しかも当の本人はそんなこと気にされまいな、むしろ誰かにそうやって気にかけられることを笑いながら見ておられるんだろうな、
そんなつまらないことを気にするのが凡愚たる所以よな、とも思うんで、
冥福というのでしょうか、ただただそういうの祈りたく、
とにかくなくなられた人々が、楽しかった思い出を持ってさ、心情を今世で伝え切ってさ、恨みとか後悔とかそういうの、一度でも捨て置いてさ、そしてこの世を離れられたことを祈りたく。
だってそれ以上何もきっと要らんのだと思います。
水木しげるさんに関して言えば、
ご自身の数多の作品の中で思い入れが最も強いのは近年人気を博した悪魔くんでも代表作たるゲゲゲの鬼太郎でもなく、ご自身の戦争体験を記した「総員玉砕せよ‼︎」なんだそうです。
戦争で理不尽を命ぜられ、体の一部を失った彼は、幸福の7カ条でもそうですけれど、利害に関係なく好きなことに夢中になることがいかに平和で幸せかを、ずっと説いておられたように感じられます。
今の、やられてはやり返し、憎しみが連鎖するような世界を、どう思われるんでしょうね。
人がなくなるのはどうしたって悲しいことなんで、
せめてこう、それを利用というかさ、
それを以って何か、というんでなく、普通の悲しみをさ、皆が心か体で表せるならそれで良いんではないかな、と思う、そういった一日でした。