『奈津子』


それが森嶋先生の彼女の名前。



年上で、明るくて、しっかりした女性。




姿こそ見てないけど、自分で詳細にその人の

プロフィールを考えてしまったばっかりに、

頭の中にははっきりとイメージされた女性が誕生してしまった。








彼女、奈津子さんは、森嶋先生の事を「けーすけ」と呼ぶ。




真面目な性格だったら、多分『い』の発音もきちんとするだろう。



「けーすけ」と、適当な呼び方をする所に、可愛らしさや甘えん坊な

部分が感じ取れるような気がした。




奈津子さんはそういう女性という事だ。






森嶋先生よりも年上の女性。





仮に2歳上だったとして・・・・、私よりも10歳年上という事になる。




25歳の女性・・・・。






どんな感じなんだろう?





キレイな洋服をさらりと着こなせたり、メイクが似合ったり、

いろいろな事を知っていたり、経験豊富だったり・・・・








中学生の私とは、まったく違う女性である事には違いない。








ここ1週間、先生の彼女である『奈津子』さんについて考えてばかりいる。





なぜか食欲もないし、あの日から胃痛が頻繁に起こるようになってきた。







考えても答えの出ないものに縛られるほど、

精神的に疲れるものはなくて、

そんな気を紛らわせる為に、私は早朝スケッチを始める事にした。








8時15分のチャイムが鳴る1時間前、まだ誰もいない美術室で

一人で絵を描く。




不思議な事に、集中して絵を描いているときは、無心でいられた。







昨日までに、教室内の流しのスケッチや花瓶、3階から眺める校庭、

川向こうの景色、遠くに裾野を広げる山などをスケッチした。



気を紛らわせる為に描いている絵とはいえ、一日経って昨日の

スケッチを見返してみると、

どこか納得できないものばかりで、どうしたらもっと上手になるのか

などを考えては、ため息混じりに筆を走らせた。








この日も、3階の美術室から見える、雲海から顔を出す山が

とても神秘的で、それをなんとか描きとめようと、

窓辺に立ってスケッチをしていた。









静かな朝。







生徒のいない校舎は、机や床の木材のあたたかな香りがほのかに漂っていた。






深呼吸をして呼吸を整えると、遠くから聞き覚えのあるエンジン音が聞こえてきた。





目を閉じて耳を澄ませると、その車がどんどん校舎に近づいてくるのがわかった。










きっと森嶋先生だ。





そんな気がした。









舗装されていない砂利道を、白いRV車が走ってくる。

乾いた路面のためか、灰色がかった砂煙を巻き上げて。






私はスケッチブックを抱えたまま、その車の動きをずっと見つめていた。



まるでスローモーションのコマ送りみたいに、残像が目に焼きつく。

地面を転がるタイヤの音が耳に残る。









間もなく裏門をくぐって、RV車が駐車場の定位置に納まった。





ブロロロロロ・・・・・・ォオオン・・ンン・・。



エンジンが止まると間もなく、先生が車から降りてきた。





時計を見ると7時40分・・・。




(まだ、職員会議すら始まらない時間なのに、どうしてこんなに

早いんだろう・・・)




駐車場に立つ先生を見つめながら、ぼんやりと考えていると、

こちらの視線に気付いたのか、突然先生が顔を上げた。





「おはよう!」




そういって先生は私に向けて、軽く手を振ると、足早に駐車場から

去っていった。







いつもの挨拶なのに・・・・



なぜか今日はなんだかとても胸が苦しかった。