『平八郎忠勝記』戦国の京を行く③ | グレート家康公「葵」武将隊

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天下統一を果たした徳川家康公のふるさと、岡崎市の観光隊を務める
”グレート家康公「葵」武将隊”による日記です。

忠勝じゃ。


~戦国の京を行く~三日目じゃ。


昨日は伏見城を紹介したが、今宵は、その城下にスポットを当てようかのう。


豊臣秀吉殿が大阪城から淀殿と秀頼を伴って伏見城に移り住むと、たちまち人口約6万人の大都市へと変貌を遂げた。


京、大阪、堺などから商人や職人が移り住み、また、全国の大名屋敷が軒を連ね、まさに天下人に相応しい城下町の様相である。


実は当時の賑わいがわかるものがある。


それは伏見の地名である!


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福島、島津、最上、筒井。

気付いたそこのお主、家臣に取立てよう!

当時の大名屋敷が地名で残っておるのだ。


他にも探せば沢山あるぞ。


好みの大名屋敷跡を探すのもありじゃ。


くれぐれも民家の敷地内に入るでないぞ。


まあ、わしのように


生誕地が民家にあったり


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陣跡が民家にあったり

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そういう特別な史跡は除いて、くれぐれも人様に迷惑をかけるでないぞ。

民家武将のお前が言うな!?

HAHAHA!!!

おやすみ。



本多忠勝