結論を言うと、まずは安全を自分自身で確保すること。これだけである。
 
    私が仕事で初めて中国に来たのは10年以上も前。初めてホテルにチェックインした時、フロントで鍵をもらい、部屋を開けてみたらクリーニングがまだという状態であった。確か江蘇省南通の文峰飯店であった。それなりのホテルである。今では中国でもそんなことはないが、当時そのようなことは中国ではしばしばあった。ホテルの部屋というのは赤の他人同士が交代で使うものだが、前宿泊者の痕跡を見つけたりするとけっこう不快なものではある。そしてそういう痕跡を残さず客を迎えるのがホテルのノウハウの一つではあろう。鍵を開けてみたら乱れたシーツやゴミだらけという状況はけっこうショックではあった。
 
    その時の私の対応はというと、すぐさまフロントへ取って返し、部屋の状況をへたくそな英語でまくしたて、今すぐ何とかしろとフロントのお嬢さんにつめよった。大人げないこと甚だしい。ホテルまでついてきてくれた現地駐在員、私の権幕を見てにっこり笑って一言。「まあ、そのあたりでコーヒーでも飲んでゆっくりしましょう。ほっといてもそのうち片づけてくれるでしょうよ。」
 
    個人的で些細な出来事である。たぶん私とて今なら、この程度のことで文句を言ったりしない。同行してくれた駐在員は私が初めて中国に来て一種高揚状態であることを見抜いていたにちがいない。
 
 
    言いたいことはこの部分。とかく赴任直後というのは、自分で気が付いているかは別にして、たいていの人はある種の精神高揚状態にある。ちょうど天敵に出会って体を膨らませたハリセンボンかなにかを想像してもらえばよい。程度の差こそあれ皆そのような精神状態なのだ。そして多くのトラブルはそういう状態である自分に気が付いていない者が起こす。
 
    中国での生活は長い。なにも今日から日本にいた時の続きで、フルスピードで走り始める必要はないだろう。十分にアイドリングをして、周囲を見渡しながら恐る恐るアクセルを踏み始めるぐらいでちょうどいいのだ。
   
    長くなってもいけないので以下、どうしてもいいたいことだけ書く。
 
    自分は酒が強いとお思いの方は特に注意である。中国では酒を飲むのも仕事の一つ。つい深酒をする方も多い。悪いことに赴任当初は酒の席がことさら多い。フラフラの状態で自宅に帰り着く。中国の白酒の回り方は二段階である。泥酔して眠ってしまっても睡眠中に嘔吐する。あおむけで嘔吐しても嘔吐物を吐き出す力がない。これが気管をふさいでしまえばいくら泥酔していても苦しかろう。どの程度苦しんだかは死体の状態を見ればよくわかる(そうだ)。翌日のうちに見つけてもらえばまだ幸せである・・・。
 
    そう珍しい話ではない。中国赴任の日本人ということでは、ここ10年で数十人レベルの日本人が同じ亡くなり方をしているだろう。常熟では長くそういう事故がなかったのだが、ここ2年連続で計2名この亡くなり方をした。しっかりした統計は明かにされない。会社はそういう事故を積極的には公表しない。
 
    数字もないのにいい加減なことを言うなと叱られるかもしれない。しかし私の知りうる限り、トラブルを起こす方、亡くなられる方は減っていない。そしていわゆる大企業の方が多いように感じる。そういう方たちは、かつての私もそうであったが、おそらく心のどこかに会社が自分を守ってくれるという感覚があるからではないだろうか。日本ではそうかもしれないが、ここ中国ではそんなことはない。
 
    冒頭に安全は自分の力で確保すべしといった。
  それはこういうことである。気をつけられたし。