20年前ぐらいまでは、仕事で使う外国語といえば英語のみであった。自分のことで言えばライティングだけではなく、英語で交渉事もしなければいけない立場にいたので、けっこう長期間、いわゆる街の会話学校で定期的に英語を学んでいた。
ある日、たまたま教室を間違えて中国語の教室に入ってしまい、一瞬他と違う独特の雰囲気を感じてたじろいでしまった経験がある。ひと昔前なら中国語を学ぶなどという輩はどちらかというと、ちょっと変わり者という時代。他の英語、フランス語、ドイツ語など欧米の言葉を学ぶ人たちとは多少異なる人たちではあった。違う臭いとでもいうか、そういったものを感じた。
変わり者という点では、私自身人のことは言えない。なにせ中国赴任を目的に50代半ばで転職したのであるから(むろん結果的にということではあるが)。就職先を物色していた際、人材紹介会社のお嬢さんが、会社を薦めてくれる時に「あそこの総経理さんは総経理臭がしないからいいと思いますよ。」などという表現で某大手企業を紹介してくれたのが記憶に残っている。中国で人材紹介業をされているのであるから、きっと多くの”総経理臭”に悩まされておられるのだろうと、彼女の言葉遣いから推察した。
総経理臭とは何ぞ?わからないまま中国で総経理になった。ところが周囲の日系企業の総経理さんと交流していても、別に他の駐在員ととなんら変わることもない。それでも、得体のしれぬ、妙な臭気をまとわないように気を付けながら3年、総経理職を事実上”卒業”する。不思議なものだ。総経理という職位を外れた瞬間、総経理臭とは何か体で感じることができた。それまでいかに”総経理臭たっぷりの”自分であったか、恥ずかしい気分にもなる。そして今でも多くの総経理さんと接する機会があるが、以前気づかなかったまさしく”臭い”を感じとることができる。
臭いであるから言葉では説明できない。一言でいってしまえば、悪臭である。
人材会社のお嬢さん、総経理臭とはよく言った。体臭に限らない。臭いというものの本質はまさにこれである。自分では気がつきにくい、いや自分がその中にいる時は通常気づくことが不可能なものなのだ。
ということは、である。今の自分。総経理臭とは異なるまた別種の、なんといえば良いのか、それ相応の長期中国赴任者臭というものをこってり身に纏いながら生きているに違いない。
そしていつかは私も日本に戻る。中国赴任者臭をたっぷり抱えて。
(自分への自戒の意味を込めて少し自虐的な表現になってしまった。もちろん誰にもここでいう”臭い”はある。中国にいたからといって悪臭になるとも言えない。”臭い”となるか”香り”となるか、はたまた格調高い”匂ひ”となるかは人それぞれであろう。)