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私の命式です↓
せっかく占い師ですから占いの視点も書き加えていきます
のマークの間は星などを交えた自己分析になっています。
2021年5月作成
1987年8月13日、東京都生まれ
後に妹、弟も生まれ三兄弟の長女として育つ。
父は恐い。今でも恐い。どこで怒られるかわからず
いつもビクビクしているうちに
自分の気持ちを抑え言わないようになった。
悪いことをしたら頭にげんこつが飛んでくる家だった。
弟は男だからと顔面にもいっていた。
ジャンプやリモコンや足が飛んできたこともある。
時代が違ったら保護案件かな、と今になって思う。
母はそんな父の間には入れずだった。
フォローしようとしても父が聞かず終わる状態だった。
私としては、父に何も言えなかった分、母だけに反抗期というか
部屋片付けなかったりお弁当箱洗わなかったりしたことはあって
父はお前(母)の育て方が悪いんだと
ありえない物言いだが、当時言われてしまった原因は私でもあるので
高校辺りの頃は本当に申し訳なかったなと思う。
幼少期は東京→埼玉→千葉と引っ越し
千葉での幼稚園では暴れる男の子が怖くて
教室の端で泣いていた記憶しかない。
小学校3年生で東京へ引っ越し
ここが現在でも実家となる。
小学校時代はソフトボール、そろばんを習う。
中学3年間が暗黒時代。
小学校の時に仲が良かった子とクラスが離れたことが
全ての始まりだったのかも?
いじめられていたわけではない。
とても恵まれた良い学年だったと思う。
私が馴染めなかっただけだった。
バスケ部に入り、友達もいたし、遊びに出かけたり
人生で始めて外で友達と年越しもしたし
楽しかったこともたくさんある。
けど、なぜか、どこかぽっかり穴が空いている感覚を覚えている。
その反動か、高校はとても楽しかった。
同じ中学(おなちゅーとか言いませんでしたっけ?笑)から
男子一人しかいなかったこともあり
生まれ変わった気分というのがピッタリ。
久しぶりに中学の子に会うとビックリされた。
引き続きバスケ部、バイトもして、楽しい3年間だった。
進学する気はなかった私は就職先を探し高卒で印刷会社に就職。
1年経つ前に別部署の先輩とお付き合いすることになる。
これが現在の夫となる。
就職から2年と少しした頃
もっと仕事をして収入を増やさねば!と初の転職をするがこれが大失敗。
ストレスで病み、8ヶ月で退職。
親に甘え、半年程無職で過ごす。
かといって家にいたくないので貯金で運転免許を取得。
他にやることがないのですんなり取得。
半年くらい経った頃、お前いい加減にしろよと父親に釘を刺され
そうだ甘えてはいけなかったと思いなおし事務のバイトに就く。
上記の4年半、一度大きなケンカもありつつ
一緒にいてくれた彼と結婚することになる。
私は実家を出て、夫と二人の生活が始まる。
第一子妊娠、出産。バイトは退職。
かわいい女の子、初の子育てに四苦八苦。
二人の生活で子供を育てるにはカツカツで
1歳過ぎから一時保育に預け保育園に申込
→待機児童が多く入れず→バイト代が一時保育代で消える
→収入が増えない、という負のループ。
もやしと鶏肉ばかり食べていた。
子供が2歳になった頃、夫の両親と同時に引っ越し、同居することになる。
これが埼玉の現在の住居で、今も同居中。
諸事情により保育園申請ができなかったためバイトは退職。
娘と二人で日中過ごす。
誰も知らない、何もわからない土地、同居の家はかなりつらかった。
約2年後、諸事情もクリアになり、バイトを始め、娘も保育園に決まる。
この職場がとても良いところだった。
程よい距離感、やるべきことはやり、お昼はおしゃべりしたり
保育園~中学生の子供の母が多かったので、困った時は助け合う。
この職場で仕事、人との関り、いろいろなことを学びなおす場所になった。
第二子の妊娠がわかり、退職。出産。
前以上に産後トラブルに見舞われ、ボロボロになる。
産後5、6ヶ月して、少しお散歩いけるかなという頃に
コロナ禍になり、より人と関われなくなる。
1歳の誕生日を迎えた夜にまとめて寝てくれてそのまま卒乳成功。
それと同時に、さぁこれからどうしよう!とスイッチが入る。
特に仕事。ここで思い出したのは保育園のママ達で
皆さんしっかり働いてお子さんの迎えに来ていた。
私もバイトのままではダメだな、と思うようになり
正社員とか、何か自分がやりたいもの、と考えた時
『占いに関係すること』はどうだろう、と思う。
自分で占う側の人になったり、そういう事務所で何かするかとか
探し方もわからないまま探してみた。
やってみたいという気持ちが膨らむが形にならないまま
年を越し2021年。一年の計は元旦にあり、の言葉を胸に
夫に相談。占いを仕事にしてみたい、と。
今年一年探してみたりして、ダメだったら諦める。と言い切った。
誰に笑われてもいいけど、夫だけは反対されたら諦めようと決めていた。
しかし意外な反応で、いいよ、やってみたらってその場でOKしてくれた。
え、いいの?ってなったくらい。本当に感謝している。
それからは超特急だった。実はアプローチしたところがあったのだが
返事がくるわけもなく、もう少し範囲を広げてみようかと検索して
見つけたのが星絢先生の鑑定師養成講座だった。
これだと思った。私がやりたいことが道筋立って可視化されていた。
「四柱推命」で検索してまだ数は少なかったが
趣味でなく、副業でなく、本業でやりたい私にとって、これしかないと思った。
しかし、正直、本当に大丈夫かな、講座かなり費用が掛かるけど、と
2週間かけて自分で確認したり費用を捻出したり、いろいろ準備した。
1月(心の)決断、検索、準備 2月講座申込(現実の決断)、子供見ながら勉強
3月修了、無料鑑定募集開始 4月鑑定活動開始
我ながら、信じられない。人生で一番突っ走っている。
1月1日には、この速さでこんなことになっているとは思わなかった。
これが私の、33年間に起きた出来事、感じたことです。
思い返してみると、星回りや時期的なことがけっこう当てはまっているように思います。
私はそれは良い、と考えます。
良い時は良い、悪い時は悪いと流れが出来ていると
悪い時には最悪の事態まで落ち込まないよう対策できるし
(昨年の天剋地冲がまさにそうですね)
良い時には今だ!とより高みを目指していけます。
自分に自信がない、自分にいいところなんてない
何もできない、何もない人間だ、と思っていた私ですが
四柱推命を学び自分を振り返ると、それなりに経験を積んで
得たものがたくさんあるじゃないかと思えるようになりました。
四柱推命を使うとこうして振り返ることもできますが
一番大事なのはこれからのことに使うことです。
今の私は、2023年から来る天中殺に備え
フルスロットルで行動しまくっています
中学生時代。人との関り。出産は…もうないと思いますが…
次の天中殺は何が起きるかな。
でも心を整えて、人のために尽くす気持ちを忘れなければ大丈夫。
以前の天中殺は対策を知らず自分中心にしていましたから。
私のことを知ってもらえると嬉しいですが
四柱推命を学ぶとこんなこともわかるんだって思ってもらえたら
もっと嬉しいです
鑑定を受けてみたり、興味を持たれたなら学んでみたりして
これからの日々をよりあなたらしく過ごせるような
きっかけに携われたらこんなに嬉しいことはありません
長くなってしまいましたが
最後までお読みいただきありがとうございました