氏神様を参拝にいって、ふと『戦没者慰霊碑』が 目について。


 この界隈のことは、義父(94歳)が健在なので 色んな話をきいたりするんですが。戦争にかりだされた人たちや、戦死した 義父の兄の話も。


そんな沢山の方々を 慰霊するものが神社の神域内にあるんだもんなと。 私の心に浮かぶ映像には  氏神様が両手を丸の形に広げて、その中に戦没者の方々と 悲しまれた その家族のことを その懐内にいれて  護って 慰めているような感じに見えました。


 そうだよなあと、理由のわからない呟きをして ゆっくり歩きながら鳥居をくぐって帰ってきました



そして何かの折に 義父に その慰霊碑の話をすると、  いろんな戦争時代の話が出てきましてね


 召集令状が届くと、出征の日に 本人と親類縁者が一緒に 私でも知ってる  何処其処のあの道路を 見送りのために皆で歩いて  あの丘のところまで行ったんだと。


それを聞いて、私は(なるほど、納得だなあ。あの道、前から なんか悲しいというか 土地的に 暗いというか 楽しくないものを感じてたもんなあ)あー、わかるわかると 思いました


やっぱり、土地の波動ってあるんだなと再認識。私だけじゃなくて、感じてる人は 沢山いるね


それは、今 例えば そこ通ると何か良くないことがあるとか そんなことじゃなくて。沢山の人の 尋常じゃない悲しみは、確かに そこに残ってるんだなと。

半端な辛さじゃなかったろうから。


そんなことを 思いながらも話を聞き続けていると、義父の兄の戦死の知らせが届いた時の話が。


 戦死の通達がきて、その知らせを家族(親)に伝えに行く役目を町内会の人が担っていたそうで(いや、地獄だな。あまりにも 過酷だ)


 その方が きたんだけど、両親とも病に伏せっていたので伝えることができず 他の家族に伝えて帰ったと。その話をして 義父 目にいっぱい涙をためてました。


 いや、過酷でしたね 戦争中は。


 戦争は、地獄だ。


慰霊碑から、色々なこと 思いました

 神様、どうぞ 戦没者や その家族の心が 癒やされますように

m(_ _)m


 では これにて。