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「なんとなく2億円」1章書いてみた!!企画書のサンプルです。

1章 起業の計画をたてるな。いきなり始めるほうがうまくいく

1 安定したサラリーマンがいいと思っていたが、気づいたらなんとなく起業していた。「新しく事業始めよう」などと大上段に構えず、いきなり始めるほうがよい

私は21歳の時に300万円の資金を貯めて、インターネットアダルトサイトを立ち上げました。これが最初の起業でした。
しかし、若くて未熟であった事もあり、やがて事業を失敗させてしまいました。

その経験から、私はこう考えるようになりました。
「起業するよりも、安定したサラリーマンになる方が安全である」と。

そこで私は、IT業界にネットワークエンジニアとしてプロジェクト派遣で出向することにしました。
面接の際に、伊藤忠テクノロジーとNECの面接官にこう言われました。

「女子で起業経験があるのは面白い。当社には社内ベンチャーがあるからやりませんか?」
「起業するのは怖いし、投資したお金がなくなるかもしれないので無理です」
「自分のお金は出さなくてもいいです。会社が負担をするから」
「それじゃ儲けをそちらにもっていかれるので嫌です」

なぜ私が断ったのかというと、父と弟はともに経営者で、いつも二人から「共同経営や出資を受けると、のちのちトラブルになるのでやめなさい」と言われていたからです。

私はこの忠告をかたくなに守り、社内ベンチャーの誘いを断ったのです。
そして、NTTデータの本社でネットワークエンジニアとして働くようになり、ネットワークの設計と構築に携わりました。その後、同社のプロジェクトを立案する仕事が主になりましたが、いずれも会社の稼ぎのキモとなる仕事でした。

私は仕事をするかたわら、通信制の大学で情報経営や社会心理学や生産管理などいろいろなビジネスを学びました(通信制の大学を卒業するのはわずか10%程度ですが、私にはこの勉強方法があっていたようで、4年間で卒業しました)。

そんな私の当時の給料は手取りで35万円くらいでした。そして、「あと5万円くらいおこづかいが欲しい」と考えていました。

そこで私はまず、家の不要品をヤフーオークションで売りました。
その頃、ニューヨークの知人が居候で私の家にいました。彼女がヤフオクでまつ毛エクステセットなるものを買うというので、見てみたらこれは売れるぞと思い、仕入れ先を調べました。また、当時はIT系に勤めていたのでIT系のベンダーの資格CCNAやCCNPの資格取得の為の問題集を作り、それをまつ毛エクステセットいっしょにヤフオクでコツコツ販売しました。
気がついたらすぐ月収100万円になっていました。その後、自分のネットショップも運営しはじめ、楽天市場への出店計画をたてていたら、会社に副業がばれて、プロジェクト満了後にクビになりました。その頃には月収は150万円くらいになっていました。

そんなこんなで気がついたら起業していた、というのが実情です。
起業というと、事業計画や資金調達などむずかしく考える人が多いのですが、私の経験から言わせてもらうと、そんな大上段に構えることなく、気づいたらなんとなく起業していた、というほうが自然なのです。

ある異業種交流会の主催の方に聞かれました。
「相川さんはどうして起業したのですか?」

私が「何となくです」と答えると、彼は笑いながらこう言いました。

「何となく起業した人なんてはじめて聞きました。貴方が年商2億円になったら、『なんとなく2億円』という本を書いてください」

だから私はいま、こうして本を書いているのです。