衣食住+○○○○
こんにちは今日は少し、過去のことを交えながらお話をします。(もしかしたらかぶっているお話もあるかも…)先日ツイッターでとある呟きを目にしました。不登校で引きこもりの娘が15,000円もするネイルに行きたいと言いだした。もっと安いお店を提案したら「私は同年代の子たちがしていること何も出来てない、死にたい」と言われた。これ、どう思いますか?圧倒的に多かったのは「娘ががわがまますぎる」「母は安いお店を提案しているのに…」こういった意見でした。お母さんが書いているからというのもありますが多くの方がお母さんの立場から見た意見だったんですよね。まぁ普通はそう思うよなぁ~と思いつつこの呟きを見て私がまず思ったのは不登校、引きこもりの原因は置いておいて「なぜ、ネイルがしたいと思ったのか?」不登校で引きこもっている我が子がどういう経緯でネイルに興味を持ったのか知りたいしネイルとひとくくりに言ってもそのお店でやりたいのか、単にそのデザインに惹かれたのか15,000円という高いネイルをやってみたいのかなど理由はたくさんあるんじゃないかなと思って。そして「同年代の子ができていることが何も出来ていない」この言葉の真意はなんなのか他にもみんながやっているけど自分は我慢してることがあるのかなって聞いたりそもそも「みんな」って誰のことなのかとか娘さんの言葉の中に娘さんを理解するヒントがたくさんある気がしたんです。何が言いたいかというと「15,000円のネイル」「同年代の子が出来ていることが何も出来ていない」「死にたい」こういう刺激の強い言葉に引っ張られて反応してしまいがちだけど本質は別にあるということで、本質を理解するためには「興味関心を持って聞くこと」これが人間関係でもそうだけど親子関係では特に重要だと私は思います。この呟きでいえば重要なのは値段じゃなくてなんでネイルがしたいと思ったのか?他にもほかの子と比べて出来てないと思うことがあるのか?っていう所の方が重要な気がしてただ「高すぎるから別のお店にしたら?」と言って片づけてしまうのは娘の立場からすると「分かってもらえない」と思うし何だかもったいないなぁと勝手に思ってしまいましたまぁツイッターの140文字内の呟きなので背景は分からないし完全に大きなお世話なんですけどこういうお話を見るたびに自分と重ねてしまってつい子供に感情移入しちゃいますというのもずっとブログを読んで下っている方はご存じの通りこの世の終わりのようなとんでもない家族のもとで育ってきたので愛情はおろか興味関心さえ感じたことがありませんでした。何が好きで何が嫌いで何が得意で何が苦手どんなことが嬉しくてどんなことが悲しいのか母がそれらを知ろうとしたことは恐らく一度もなく私が何か自分のことを話せば「ふーん」「出来るわけない。馬鹿みたい」返ってきたのはそんな言葉ばかり。そのせいもあって何が好きなのか何が得意なのかとか未だによくわからないままですこれは本当に困ってます(笑)当時は「もっと興味関心を持ってほしい」なんて言語化出来ていたわけじゃなく漠然と「さみしいな」とか「私に興味ないんだな」とか「私の話はつまんないんだな」とかそんなことを考えていた気がします。援助交際でお金を稼いでいた時でさえ私がどうやってお金を準備しているのかなんて考えもせずお金という物質にしか興味がなかったですしね誰か一人でも自分の存在を認めてくれて興味関心を持ってくれる人がいればよかったんですが(それが親であるなら一番良い)当時は学校ではいじめられていて菌付け遊び?みたいな感じで病原菌みたいな扱いを受けていて自分は汚いものなんだと思っていました。この時からすでに怒るのが苦手でそんな扱いを受けてもヘラヘラしていた私も悪いんですが家では祖母が包丁をもって追い掛け回してくるし姉は気に入らないことがあると殴る蹴るしてきてそれを見ていた兄からは「怒らせるお前が悪いんだぞ」と理不尽な怒りを私のせいにされる。そんな毎日は控えめに言っても地獄で「早く消えたいなあ…。私の存在そのものをなかったことにしたい」家の近くの墓地公園でひとり毎日そう思っていたのを今でも覚えています。ウサギは寂しいと死んでしまうといいますが人間も同じで衣食住の形だけ整っていても人は、特に子供は生きていけない。運良く生きられても健全に育つのは難しいんじゃないかと思います。そこに興味関心、愛情や愛着があって初めて人が人として生きていくことができるのではないかと。(壮大なテーマだからよくわからないけど)ただ、今、そんな家族を恨んでいるかと言われれば恨んではなくて、復讐したいとも思わない。でも、やっぱりまだ○○してほしかったなぁとかたくさん話を聞いてほしかったなぁとかもっとこうしてほしかったなとかそんな強烈な思いがずっとずっと私の中にあってこれは後悔なのかなんなのかこの思いがなくなった時、本当の意味で乗り越えたと言えるのかもしれないなと思ってます私はもう大人になってしまったけど正直、大人になった今の方がずっと苦しい。大人になると大人であることを求められるから。今子育て中の方や、これから子供を望む方に願うのはどんな子供であっても、産んだ以上は愛してあげてほしいということ。子供が幸せになる基盤はそこにかかってる!とまぁ書いていたらいろいろ記憶が蘇って熱くなってしまったけど「興味関心も持って接するのは大事だよ!」というお話でしたというわけで、また更新しまーす!