礼に従ってノックしようと上げた手を、ユエは少し考えてから何もせずに下ろした。
代わりに音を立てないように気を配りながら、そっとドアノブを回す。
カーテンを引いてもなお漏れてくる朝日が、薄白くその部屋の中に明かりを投げかけていた。
部屋の真ん中に置かれたローテーブルには、昨晩の宴の跡が入り混じったアルコールの香りと共に残っている。
散乱した瓶や缶に気を付けながら、ベッドに横たわる人に近づいて顔を確認した。
ああ、やっぱりな。
壁を向いて惰眠を貪るテラ、ではなく、都合よくこちら側に寝転んでいた大海の肩を軽く揺する。
アルコールの入った彼の眠りは浅かったらしく、軽いため息に似たうめき声をあげると薄っすらと瞼を開けてくれた。
「・・・、君は?」
「この姿では始めましてですね。以前にユエと名乗らせて頂いた者ですよ」
なるほどと、大海は焦点が定まっているのかいないのか分からない瞳でじっくりとユエの素顔を眺めた。
子犬のような可愛らしい、そして目の離せないやんちゃさを隠している顔だ。
愛嬌よく笑っておいて、そのままどこかに駆けて行ってしまいそうな。そんな自由奔放さを持っている。
どこか夢見心地にも見えた大海をどう思ったのか、ユエは低めの静かな声で話しかけた。
「起きれますか?兄が起きる前に洗面台を使って欲しいのですが」
少しばかり頭がふらつくが、素直にユエの言葉に従って身体を起こした。
その顔を、今度はユエがじっと見詰める。
「なにか?」
「いえ、洗面具は一通り新しい物を出しておいたので、好きに使ってください。
シェイバーも出しておきました。肌に合うと良いのですが・・・」
言いながら、ユエな深~いため息を重く吐き出した。
「ご迷惑だと思いますが、もうしばらく兄の夢を壊さないであげて下さいね」
思い当たるのか、大海は自分の口周りをすうと指で辿った。
そんなに濃い方ではないのだが、さすがに朝イチは気になる感触が手に残る。
「・・・、いっそコレを見せてはっきりさせてあげたほうが良いんじゃないの?」
「それもそうなんですが・・・」
そのままユエが言葉を濁したので、兄さん想いだね、と軽やかな笑顔を残し大海は示された洗面台に向かった。
彼の言う通り、早いうちに本当のことを教えてあげたほうが傷は浅いだろう。
だけど。
「これが初恋かもしれないんですよ、ひろみさん・・・・」
後ろ手に回されて、おもちゃのような手錠をかけられた。
形だけのモノと分かっていても、普段はとらない姿勢を強いられることは微妙な負担が身体に響く。
「痛くないですか?」
気持ちが筒抜けたかのようなタイミングで、手錠をかけたユエが大海に問いかけた。
そういえば彼の特殊能力は、どの程度の幅があるのだろう?
浮かんだ疑問が解決される前に、ふいに顎を持っていかれて司会の位置が変わる。
「悪いな、2号。うちの愚弟はこうゆうシチュエーションが好きらしい。
戦いが佳境になったくらいで、どちらかの名前でも叫んでやれば猶更喜ぶだろうな」
自身もこの状況を楽しんでいるように見受けられるサンが、人差し指だけを添えて大海の顎を捉えていた。
完全バトルスーツを装着している彼が薄ら笑っているのは、これから起こる『何』に期待しているからなのだろう。
「あの、本当につるのさんを呼び出しているんですか?」
及び腰の大海の言葉に、サンの笑いは一層濃くなった。
岩を切り出された後の採掘場。
多少の大騒動も周囲に被害は出ないだろうし、想定外に邪魔が入る可能性も少ない。
戦う場としてはうってつけの場所だ。
「ここまでお膳立てしておいて、今さら何を言うんだ?
テラの奴も朝からその気で、今回ばかりは手出しをするなとしつこく釘を刺されているんだ。
面白い余興が見れるぞ」
そんな・・・、と懇願するようにユエへと助けを求めたが、彼も軽く首をすくめて状況を受け入れてくれと無言に呈するだけだった。
戦闘意欲剝き出しのテラは、広く平地に切り出された場所で剛士が到着するのを待ち構えている。
風が、流れた。
大海の前髪を一筋泳がせたその風が、遠くからモーター音を運んでくる。
聞き間違うはずのない、羞マッハ号のエンジン音を・・・。
粉塵を上げながら到着した羞マッハ号から、鋼のごとく鋭い光を放つ銀のバトルスーツを着けた剛士と、黄金輝くを誇るバトルスーツを有した雄輔が下りてきた。
凝視することすら辛いほどの、光を帯びて立ち並ぶ二人。
テラが忌み嫌っていた、光に属するモノという言葉が頭を掠める。
「雄輔、お前は絶対にここから動くなよ。今回のことは俺ひとりでケリを着ける」
喉焼けしたハスキーボイスを、今日はドスを効かせて響かせている。
雄輔だってサシの勝負に手を出すほどヤボじゃない。
ただ向こうもオブザーバーが付いてくるのなら、こちらもそれに合わせた方がよいだろうと言うだけの話だ。
「下手な立ち回りをして、サッキーに余計な心配をかけるなよ」
「お前に言われちゃ、お終いだな」
鼻先で勝気に笑うと、剛士は深く一歩を踏み出した。
後には引けない戦いに向かう、決意の一歩を。
続く