一年前、普通に仕事に行こうとした私の眼に止まった駅売り新聞の広告。
『羞恥心メンバー独立騒動?』
血の気が引いた。
そんで、ぜったいにノックだって思った。
ふらふらした頭でスポーツ紙を買って、混雑した駅のホームでざっと目を通した。
何?なんで?なにがどうしたの?
誰も居ない仕事場で、じっくり読んでサイアクの事態だって確信した。
でも、仕事は休めないし、周りに迷惑もかけれない。
某大手SNSのコミュニティは大騒ぎになった。
それから、綱渡りみたいな心情の毎日。
仕事が削られて、ヘキサくらいでしか野久保さんを見れなくなって。
どうなるんだろうって。このまま干されるのかな?まだ大丈夫かなって。
ずっとそんな心配ばかりしてた。
で、ある日。
野久保さんが26時間TV明けの放送分のヘキサの収録に居なかったって話がでて。
とうとうこの日が来たかって覚悟した。
ううん、覚悟は出来なかった。まだ違うって必死に抵抗してた。
通常ヘキサの最終出演日、『GOOD-BYE』のロゴを着た野久保さん。
今思うと、本当に覚悟が出来ていたのか彼のほうだった。
置いてきぼりを食らったのは、私たちだった。
つるの恩返しも行った。ヘキコンも行った。
誰かが呼び込まれるたびに、ノックが出てこないかってドキドキしてた。
有り得ないって、分かっていたけど、やっぱり心のどこかで縋っていた。
年末の年越しライブの時だって、本当は期待してた。
ヘキサゴンファミリーは、ヘキサのスタッフは優しいから。
ことあるごとに『ノックはまだヘキサファミリーだよっ』ってアピールしてくれて、
それはそれですごく嬉しかったけど、でも、たまにもう良いよって思った。
だって、本人が戻ってくるかどうか分からないのに、へんな期待だけ持たせるのは止めて欲しいって。
諦めてしまったほうがずっと楽になれる、そんな人もいたと思ったから。
年が明けても月が変わっても何の変化もないままに。
活躍するかつての仲間を誇らしく思う前に妬ましく思ったり。
へこたれそうで、それでもしぶとかった野久保ファン。
本当に、なんでこんな人を好きになったのか。
さっさと見切りをつけることがどうして出来ないのか。
春。
そこから彼の名前が存在が消えて、
不透明なままでの時間が流れ、期待と不安が加速する中、彼は帰ってきた。
帰って来たって言って良いのか分からない。まだ帰ってきたと認めたくない。
教えてくれたのは、彼の周りの人だから。
いくら今の彼の姿だと分かっていても、なんだか昔の写真を見るようにリアル感が欠けている。
どこか自分と関係ない世界で起こっている、フィクションみたいに見えるのだ。
それでもキミの笑顔に会える事は、とてつもない力になる。
項垂れた頭が、グンっ!て空を見上げてしまうくらいの。
一年だよ。
大人になってから一年はあっという間だっていうけど、こんなに長い一年は久し振りだ。
強くなったり弱くなったり、忙しい一年だった。
でも、これだけは言っておく。
君を想って泣いたことはなかったよ。
あの最後の夜だって、私は泣いたりしないで君の決意を見守っていた。
自分で決めて起こしたことだもの、多少の痛みは覚悟してたよね?
そう問いかけながら見ていたのかもしれない。
そしてさらに不透明なままの未来。
正直、今の野久保さんの現状は嬉しくない。
いや、舞台役者になるもはそれでいいのだけれど、いろんな人の演出や脚本を体験して欲しい。
たった一人の人が作るステージだけで、満足しないで欲しい。
外に飛び出すのがまだ困難な状況なのかもしれないけれど、
いずれは多くの人の作品に関わっていってほしい。
こんな願いを唱えられるようになっただけ、幸せなのかな?
やっと消息を知る事が出来るようになったんだもんね。
当たり前の事が当たり前じゃなかったんだもんね。
この潜伏期間に君がどれだけ切磋琢磨し、成長したのか。
GWにこの眼でしっかりと確かめさせてもらうよ。