始まりの日に | 逢海司の「明日に向かって撃て!」

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ご注意下さい!!私のブログは『愛』と『毒舌』と『突っ込み』と『妄想』で出来上がってます!!記事を読む前に覚悟を決めてくださいね(^^;。よろしくお願いします☆

一年前、普通に仕事に行こうとした私の眼に止まった駅売り新聞の広告。




『羞恥心メンバー独立騒動?』




血の気が引いた。


そんで、ぜったいにノックだって思った。


ふらふらした頭でスポーツ紙を買って、混雑した駅のホームでざっと目を通した。


何?なんで?なにがどうしたの?


誰も居ない仕事場で、じっくり読んでサイアクの事態だって確信した。


でも、仕事は休めないし、周りに迷惑もかけれない。


某大手SNSのコミュニティは大騒ぎになった。




それから、綱渡りみたいな心情の毎日。


仕事が削られて、ヘキサくらいでしか野久保さんを見れなくなって。


どうなるんだろうって。このまま干されるのかな?まだ大丈夫かなって。


ずっとそんな心配ばかりしてた。


で、ある日。


野久保さんが26時間TV明けの放送分のヘキサの収録に居なかったって話がでて。


とうとうこの日が来たかって覚悟した。


ううん、覚悟は出来なかった。まだ違うって必死に抵抗してた。


通常ヘキサの最終出演日、『GOOD-BYE』のロゴを着た野久保さん。


今思うと、本当に覚悟が出来ていたのか彼のほうだった。


置いてきぼりを食らったのは、私たちだった。




つるの恩返しも行った。ヘキコンも行った。


誰かが呼び込まれるたびに、ノックが出てこないかってドキドキしてた。


有り得ないって、分かっていたけど、やっぱり心のどこかで縋っていた。


年末の年越しライブの時だって、本当は期待してた。




ヘキサゴンファミリーは、ヘキサのスタッフは優しいから。


ことあるごとに『ノックはまだヘキサファミリーだよっ』ってアピールしてくれて、


それはそれですごく嬉しかったけど、でも、たまにもう良いよって思った。


だって、本人が戻ってくるかどうか分からないのに、へんな期待だけ持たせるのは止めて欲しいって。


諦めてしまったほうがずっと楽になれる、そんな人もいたと思ったから。




年が明けても月が変わっても何の変化もないままに。


活躍するかつての仲間を誇らしく思う前に妬ましく思ったり。


へこたれそうで、それでもしぶとかった野久保ファン。


本当に、なんでこんな人を好きになったのか。


さっさと見切りをつけることがどうして出来ないのか。




春。


そこから彼の名前が存在が消えて、


不透明なままでの時間が流れ、期待と不安が加速する中、彼は帰ってきた。


帰って来たって言って良いのか分からない。まだ帰ってきたと認めたくない。


教えてくれたのは、彼の周りの人だから。


いくら今の彼の姿だと分かっていても、なんだか昔の写真を見るようにリアル感が欠けている。


どこか自分と関係ない世界で起こっている、フィクションみたいに見えるのだ。


それでもキミの笑顔に会える事は、とてつもない力になる。


項垂れた頭が、グンっ!て空を見上げてしまうくらいの。





一年だよ。


大人になってから一年はあっという間だっていうけど、こんなに長い一年は久し振りだ。


強くなったり弱くなったり、忙しい一年だった。


でも、これだけは言っておく。


君を想って泣いたことはなかったよ。


あの最後の夜だって、私は泣いたりしないで君の決意を見守っていた。


自分で決めて起こしたことだもの、多少の痛みは覚悟してたよね?


そう問いかけながら見ていたのかもしれない。




そしてさらに不透明なままの未来。


正直、今の野久保さんの現状は嬉しくない。


いや、舞台役者になるもはそれでいいのだけれど、いろんな人の演出や脚本を体験して欲しい。


たった一人の人が作るステージだけで、満足しないで欲しい。


外に飛び出すのがまだ困難な状況なのかもしれないけれど、


いずれは多くの人の作品に関わっていってほしい。




こんな願いを唱えられるようになっただけ、幸せなのかな?


やっと消息を知る事が出来るようになったんだもんね。


当たり前の事が当たり前じゃなかったんだもんね。




この潜伏期間に君がどれだけ切磋琢磨し、成長したのか。


GWにこの眼でしっかりと確かめさせてもらうよ。