直樹を見送り、雄輔を見送り、病院と簡単に話をつけて自宅に戻った。
さすがに涙は引いたが、目元が真っ赤に腫れて鼻まで赤くなっている。
これは客の前に出て行ける顔ではない。
ふうと一息ついて、この状況を子供達にどう説明するかと頭を抱えた。
はっきりと「直樹は死んでしまった」と伝えたほうが言いのだろうか?
それとも遠くに行ったとか濁すか?
本当のことを伝えたところで、どこまで理解できるかは謎である。
奥方が上手に話してくれていると助かるのだが・・・。
どうすべきか考えがまとまらないまま、とりあえずペンションに戻った。
この時間は子供達は二階の部屋にいるはずだ。
後回しにしても仕方がないと腹をくくり、真っ先に子供部屋に向う。
小さな子供というのは大人が考えるよりも元気、というか、無鉄砲なもので。
冬が始まろうという季節だというのに、窓を全開に開けてベランダから空を見上げていた。
「えーと、うーたん、そんなしてたら寒いでしょ」
こっちに戻ってらっしゃい、と手招きすると、子供達は素直に窓を閉めて剛士の元に駆け寄って来た。
キラキラとした瞳でじっと見上げられて、剛士は思わず口ごもってしまう。
こんな小さな子達に、どうやって悲しい事実を告げたら良いと言うのだろう。
「あのね、直樹なんだけどね・・」
「ちがうよぉ、ぼくぼくくん、行っちゃったんだよ」
詠斗の突拍子のない言葉に、剛士はなにを言い出すのかと度肝を抜かれた。
「行っちゃったって、何処に行ったか知ってるのか?」
「うーんとね、さっき、バイバイしに来たの。遠くに行っちゃうんだって。
背中に大きな羽があってね、それで向こうのほうに飛んで行っちゃったの」
なっ・・・!
詠斗が指差した方角を確かめる。
それで、直樹を見送っていたから窓を開けていたというのか?
「あっち、に、行っちゃたのか?」
「うん、そう。バイバイって、良い子にしてるんだよって。ぼくぼくくん、もう、帰って来ないの?」
真っ黒な瞳が、まだ何にも汚されてない瞳が、正面から剛士を捕らえる。
子供はたまに純真すぎて、大人には惨い存在になってしまう。
帰って来るはずがないと、どうして事実を言えるだろう?
自分自身がいつか帰って来て欲しいと、心の奥では願っているというのに。
「・・そうだな、俺には分からないけど、お前達にさよならを言いに来てくれたのか」
こくん、と揃って頷く子供達を、剛士は抱え込むように抱き締めた。
我武者羅に掻き抱くように、腕の中に閉じ込めた。
「とーたん?」
突然泣き出した父を、子供たちは不思議そうに眺めている。
いつも強くて逞しい父が、赤ちゃんみたいに声をあげて泣いている。
そんな父のことを慰めるように、子供達は頭を良い子良い子って撫でてくれた。
ああ駄目だ。
こんな気持ちを一人で乗り越えるなんて出来やしない。
誰かに縋っていなくては、寂しくて悲しくてやってられない。
脅えるような顔しか出来なかった直樹。
最初は何事にも卑屈にしか取り組めなくて、そんな彼を沢山叱って急き立てて褒めてあげて。
剛にぃって呼んでも良いですかって聞かれたときは、本当に嬉しかった。
ちゃんと心を開いてくれたんだって、信用してくれるようになったんだって、嬉しくて仕方なかった。
いろんな笑顔を見せてくれた。
泣き顔も同じくらい曝してくれた。
その一つ一つを守ってあげられると、そう思っていた。
子供達の小さな手が、飽きることなく剛士のことを慰めようとあちこちに触れてくる。
こんなに暖かい手の平が傍にあるのに、きっとこの傷が癒えることはない。
例え誰がどんなふうに笑ってくれたとしても、彼の代わりになりえるはずはなかった・・・。
うつろに窓の外を眺める彼の横顔が、なぜだかとても遠くにあるように感じて、孝太郎は寒気のような孤独を感じずにはいられなかった。
直樹を見送った雄輔は、おとなしく病院に帰ってきた。
行かせてくれてありがとう。これからはおとなしく治療に専念するから。
本当はそんな言葉を聴きたかったんじゃない。
もっと感情のままの声を聞かせて欲しかった。
「ちょっと良いか?」
そう言って孝太郎は白衣を脱いでベッドの端にかけた。
院内では決して白衣を脱がないのに珍しいなと雄輔が見つめれば、彼は面映いように笑ってこう続けた。
「お前の主治医じゃなくて、ただの幼馴染として話がしたいんだ。
そうゆうつもりで答えてくれよ」
なるほど、だから医者の象徴でもある白衣を脱ぎ捨てたのか。
合点がいった雄輔は、だったら座ればとパイプいすを勧めた。
よほどのことがない限り、孝太郎は病室で椅子に腰掛けたりしない。
でも友達としてここにいるなら、腰をすえてゆっくり話してもいいはずだ。
孝太郎は逡巡するまでもなく、椅子を引き寄せて腰を下ろした。
ベッドに入ったままの雄輔と目線の位置が近くなる。
そんなことが懐かしいと、雄輔はぼんやり孝太郎の洗練された顔つきを眺めながら思った。
「正直、お前が帰って来てくれるとは思わなかったよ。
あのまま後追い自殺することだって覚悟してた。
親太郎を見張りにつけたとはいえ、よく帰ってくる気になったな」
ああ、いつだって誰かに覚悟させてしまう。
自分だけの心のままに、願うままに生きるのはとても難しくて危険なんだ。
「一瞬ね、そう思った。
あの場所で自然に命が終わるまでいようかって、そう考えた。
だけどオレがノックを失って心がめちゃくちゃに叩き壊されるくらい辛い思いをしたなら、オレが死んだときも誰かがこんなに痛い思いをするんだって、そのことに気が付いたんだよ。
コウチン、オレは生きるよ。もう誰も悲しませたくないんだ」
「・・・、いいのか、それで」
分かっているくせに、あえて孝太郎は尋ねる。
良いも悪いもなかった。
人が大好きで大事な雄輔だ。
大切な人の笑顔を奪うような選択肢を、自らが選ぶはずはなかった。
「たぶん、ノクも生きてって言ってくれると思うんだ。
オレはノクを忘れない、絶対に絶対に忘れない。全部全部覚えてる。
・・・・、オレの命が尽きるまで、一緒なんだよ・・・・」
忘れない。
木漏れ日みたいに、あったかくやわらかく包み込むように笑ってくれたこと。
自分の抱えるトラウマを吐き出して、必死に乗り越えようとしていた頼りない背中。
抱きしめて抱き返された、あのときの確かな温もり。
そして、
『ボクも雄ちゃんが大好きだよ』
あの声、あの響き、ほんのかすかなアクセントまで。
一つ残らず心に刻んで生きていく。
直樹がくれたものは絶対に手放したりはしない。
だからこれからもずっと一緒だ。
もう誰も、どんなことも二人を引き離せないよ。
だからオレは寂しくないよ。
ずっと心にノックが居るから・・・・。
続く