なんという甘えたお願いだろう。
三十路男にありえない台詞に驚愕して言葉を失っていたら、
「駄目?」
なんて、捨てられた子犬みたいな目で問い直してくる。
ああもう、その顔は反則。
雄ちゃんの地元の人たちが、なんで雄ちゃんに甘いのかよっく分かった。
こんな寂しそうな顔を見せられたら、構ってあげずにはいられなくなってしまう。
「いいよ、こっちに来なよ」
そう言って掛け布団を巻くって呼んであげたら、たちまち、やった!って元気な笑顔になって隣に潜り込んでくる。
観念したボクは、掛け布団と毛布がずれないように雄ちゃんの肩の上までしっかりとかけてあげた。
「ノックあったけ~~」
ぴったりとくっついてくる雄ちゃんの身体のほうがよっぽど暖かい。
病気のせいなのかなって考えると、少し切なかった。
「狭いからボクのこと寝ぼけて蹴ったりしないでね」
「しねーよ、そんなこと」
くすくす笑いながら、雄ちゃんはボクの肩に顔をすりつけるように甘えてきた。
ほら、あれ。
飼い猫が自分のご主人様の足下に、自分の匂いをなすりつけて甘えるみたいな感じ。
そうゆう無防備な、そして独占欲丸出しな甘え方だった。
「・・・、ノックの匂いだぁ・・・」
懐かしそうに雄ちゃんが呟いた。
同じお風呂で同じ石けんを使っていたのに、ボクの匂いってなんだろう?
「日だまりみたいな、土と草が薫るような、『ほっ』って安心できる匂い。
春先に吹く柔らかい風みたいな匂いだ」
そんな説明をつけてもらっても、やっぱり自分の匂いって分からない。
家の石けんの匂いしか、ボクの鼻には入ってこない。
だから、
「え?何??」
今度はボクが雄ちゃんの胸元に鼻を引っ付けた。
ボクと違う匂いがするのか、確かめてみたくなったのだ。
突然のことで驚いたのか、急に触れられてくすぐったかったのか、雄ちゃんが肩を竦める。
雄ちゃんの匂い。
日焼けした肌の匂い。
体に染みこんだ海の匂い。
そして微かに、病院の消毒液の匂い。
全部全部、ちゃんと覚えておこう。
いつでも正しく雄ちゃんを思い出せるように。
「のく・・・」
頭から抱きかかえられた。
たちまち雄ちゃんの匂いに包まれる。
とても懐かしくて、切ない気持ちがいっぱいに溢れてくる。
「ここに来る前にノクに話があるって言ったでしょ?アレ、いいかな?」
うん、て頷く。
雄ちゃんに抱きしめられると、ボクはいつも以上に無口になってしまう。
言葉にしなくても伝わるって、勘違いしてるのかな?
「オレさ、この先も病気が良くなるか、どうか分からないじゃん。
あっさり死んじゃうかも知れないし、ただダラダラと病院で生き延びるだけかも知れない。
だからノクのことを、オレを待っていてくれるノクのことを、オレの生きる理由にしたいんだ」
なんだか言葉が抽象的すぎて、ボクは困ったままで雄ちゃんの顔を見つめた。
雄ちゃんも眉を八の字にしながら笑っている。
言葉を探して目線がうろうろと彷徨い、見切り発車みたいに彼は説明を始めた。
「どう言えば分かりやすいかな・・・。
ノクに会いに行く事を、オレの生きていく目標にしたいの。
周りに迷惑掛けてもしぶとく生きようとするのは、ノクが待っていてくれるからだって、
ノクがオレを必要としているから、行きぬかなくちゃ行けないんだって、
そう信じて、そのために頑張ってるんだって思いたいんだ」
雄ちゃんのそんな告白に、ボクは正直『今更』って思ってしまった。
だって、ボクは最初から雄ちゃんをずっと待っているつもりだったから。
何年も放っておかれても、連絡が全く途切れても、
只管に雄ちゃんを信じて待っているんだって、そう決めていたから。
ボクの思い込みのような決意を、雄ちゃんも分かってくれてると思っていたのに・・・・。
「ボクは、待っていれば良いんだね。
雄ちゃんを信じて待っていれば、それが雄ちゃんの生きる意味になるんだね?」
ボクは心をざわつかせる寂しさを押し殺して、真っ直ぐに雄ちゃんの瞳と向き合った。
向けた視線に意思を込め過ぎたのか、雄ちゃんの瞳のほうが一瞬たじろぐ。
そうだよね。
無理にでも意味を作らなくては、勝ち目の見えない戦いに挑むのは辛すぎるよね。
自分を見失いそうになってしまうよね。
こんなボクの存在でも雄ちゃんが前を向く力になるのなら、これ以上嬉しいことはないよ。
あんなに沢山の雄ちゃんを愛してくれる人の中からボクを選んでくれたんだから。
これ以上を望んだら、罰が当っちゃうよ・・・。
「ごめん、ノク」
「何を謝るの?ボクは最初からずっと雄ちゃんを待ってるつもりだったんだ。
だっいすきな雄ちゃんの生きてる『意味』になれて、ボクは本当に嬉しいんだよ」
項垂れる雄ちゃんを、今度はボクが抱き締めてあげた。
大丈夫、どんなに離れてもボクらはお互いを信じてる。
ずっとずっと遠い未来も、お互いの笑顔を力にして生きている。
そんな果てしない希望が雄ちゃんの心にもしっかりと根付きますように。
不安と迷いに陥って足掻いてしまう瞬間も、決して一人ではない事を思い出してくれますように。
ボクはありったけの力と願いを込めて、この大きな子供を抱き締めてあげていた。
続く。