中国時代の話をいくつかしてきたが、


最後にどうしてもこの店舗の話を

どこかに残しておきたくて書いておく。




 時は2018年、

中国生活ニ年目に入り、暫くたった頃。

焼肉屋で使う中国語も最低限覚え、

現場の責任者としてGOが出る。

下積みを終え、

店長としての仕事が始まった。



店長といっても

普通の雇われ店長業務ではなく、

経営層としての一店舗の立ち上げ業務だ。


物件探し、

損益分岐計算、

売上利益予算設定、

減価償却予測、

店舗レイアウト決め、

副店長料理長決め、

寮探し、

面接、

チーム作り、

基礎教育、

厨房機器選定、

焼き台輸入、

カード会社契約、

広告契約、

保険契約、

Wi-Fi契約、

POS準備、

仕入れ先確定、

味の安定、

サービスの安定、

内装進捗確認、

営業許可取得、

消防許可取得、

....


挙げるとキリがない。

同時進行も多く、

とにかく毎日忙しく、

Openまでと、それが落ち着くまでの

九ヶ月間、一日の休みもなく走った。

当然全てのタスク責任者は私だ。



以前のブログにも書いたが、


丁度同時期、父の癌が発覚した。


私は穴を開ける訳にはいかず、

仕事を優先した。



 この店舗で共に戦った仲間達。

寮の都合上、

男は厨房。

女はホール。

という感じの人員だった。



私が駆け出し店長の頃は、

私を含め男十人が同じ寮で、

同じ釜の飯を食い、

共に寮生活を送り、

【スタッフから始まる笑顔の無限連鎖】

という私が掲げた旗を軸に、

全てはお客様の為、

部下と共に成長した。

皆んなで笑顔の練習を沢山した。

笑ってる事が可笑しくてまた笑った。

そんな朝礼を毎日行っていた。



私の想いや、厳しい訓練の結果は、

中国の一番有名な外食検索アプリの口コミに

現れていた。





サービス

環境

この3つが表記される。

各5.0満点だ。

全盛期、

FC(フランチャイズ)を含め

約15店舗程あった中で、

総合で5つ星を持っていた系列店は、

本店と私が管理している店舗だけだった。

私の自慢の部下達の成果だ。


「お店でサプライズプロポーズをしたい。」


というご予約までいただいた程、


毎日満席で、良い雰囲気だった。



 週に1回、勉強会の為、

月曜日のランチが休みだった。

その為、日曜日の仕事終わりになると、

寮で火鍋と呼ばれる激辛鍋が作られる。

生の唐辛子でも平気で齧る奴らだ。

信じられん。

私は辛さを薄めて

ギリギリ食べれる感じだったが

やはり味は美味い。


牛脂、

生唐辛子、

山椒の実、

八角、

クコの実、

変な葉っぱ、

変なキノコ、

香り付けやら漢方系の怪しげな物が入る。


で、ビールと白酒(穀物系高濃度焼酎)

を一緒に飲む。

トランプやミニゲーム。

罰ゲームからのグラス一気飲み。

クラブ系の曲を爆音でかけて爆笑大騒ぎ。

大学生の年齢なのだから

大学生ノリで普通なのだけれど、

年のせいか

大体私が明け方に先に力尽きて寝る。





売上に追われ大変だったが、

中国生活で一番楽しかった時期だった。




 突如始まったコロナで、

この店舗が赤字に急落し、

やむなく閉店した。

この頃は私は複数店舗を管理していた為、

別で店長を立てていた。

家賃が120万円を超えていた為、

コロナで営業が出来ない中では、

3ヶ月と持たなかった。

店舗立ち上げから営業黒字転換まで、

一番辛かった時期を乗り越え、

最高月売1,000万円を叩き出し、

最後の最後まで店を守ってくれた

二十歳そこそこの若い社員達。




当時の中国の飲食店の月給は平均10万円弱。

日本と比べてはいけないが、

確実に給料の何倍もの仕事をこなしてくれていた。


コロナの中でも潰れず

生き残った店もあったのに、

私の力不足により、散り散りになった。



退社を余儀なくされた者もいた。

今でも責任を重く感じている。

思い出さない日は無い程だ。



勿論全員、私の面接を通っている。

私にとって本当に

全員が弟や妹みたいな存在だった。

本当に成長させてあげたくて、

本当に稼いで欲しいと願って教育していた。

責任者クラスまで成長すれば

給料5倍を目指せるからだ。


学校を出ていなくても、


能力が上がればちゃんと稼げる。


【学校を出ていない=負け組の飲食店の一般社員】


の公式を崩したかった。



「最悪俺の下じゃなくなっても、

どんな会社へ行っても必要とされる様な、

そんな人間になれ。

会社の為に働くな。

自分の為に働く延長線上に

たまたまこの会社があって、

日々、目の前にお客様がいるだけだ。

困った事があったらいつでも助けてやる。

お前らはまだ若い。学べ。走れ。笑え。」

と檄を飛ばし続けた。



 いつか私が成功者となり、

人にお金を使えるくらい偉くなったら、

まず最初に中国へ行き、

皆に退職金を渡したい。

「あの時は本当にすまなかった。」

と一言添えて。






season0

〜YouTube【青い星の村人】のseason1を始めるまでの経緯と中国生活のお話〜


-完-



続きはYouTubeで▶️⛰️🐕