人それぞれに

ストレスに感じることは違うけれど、

“もう限界だ!”と思った2023年8月10日。



朝、起きたら、左耳が詰まって音がよく聞こえなくなっていた。

(元々、右耳は44年前の突発性難聴でよく聞こえない)


『山の日』やらお盆休みにかかっていたので、近くの耳鼻科はどこもやっていない。

開いている耳鼻科をインターネットで探しまわり、やっと7駅先にある全く知らない街の耳鼻科へ。


聴力検査をするも、“ 初診だし前からのデータがないので何とも言えない ”とのことで、お決まりのアデホスコーワとメチコバールを処方された。



お盆明けに、以前にかかったことのある耳鼻科へ。

ここでも聴力検査をするが、“ 聴力は前回とはさほど変わっていない ”とのこと。

それよりも何よりも、“ 聴力検査は時間がかかるので、お昼時には来ないでくれ ”と言われ、この耳鼻科にはもう二度と行かないと決めた!


次に、新たに探した大学病院系列の耳鼻科へ。


この頃には、すぐ真横の人が何と喋っているのかも聞き取れなくなっていた。

すぐ横を車が通っても、換気扇の真下にいても、頭上をヘリコプターが飛んでいても、音が聞こえない。

電話にだって出られないし、玄関チャイムの音も聞こえない。


ここでやっとステロイド剤プレドニン錠が処方され、飲む量に非常に神経を使いながら9/7〜9/11まで飲み終わった。

( ステロイド剤を飲み終えた後は、その代わりにツムラ柴苓湯エキス顆粒を処方された )

同時にここでもお決まりのアデホスコーワとメチコバール、そして内耳のリンパ液排出が目的で利尿作用のあるイソバイドの3点セットを飲む。




そして、耳の不調の引き金となった、私にとっては生命の危機にも聞こえるドスンという車のドアを閉める音( 静かな環境の中で突然に聞こえる、一日に何度も何度も間近に聞こえる、耳栓をしていてもミゾオチにドスンと響く、しかしヨソ様の生活音なので仕方がない )が怖くて仕方ないので、心療内科にも通いはじめツムラ岺桂朮甘湯エキス顆粒とスルピリド錠・パロキセチン錠を飲み始める。


皮肉なことに、耳が不調になってからは、( 私にとっては )命の危機を感じるようなドスンという車のドアを閉める音も聞こえなくなり、“ やっと自由になれた ”という解放感 & 開放感を味わったのも事実。


西洋医学にだけ頼っていてはダメだと思い、耳に特化した鍼灸院の治療にも再び頻繁に通い始めたし、難聴に良いとされるヘリクリサムが入った精油でマッサージをしたり、FESフラワーエッセンスの『セルフヒール』飲んだり、ドスンという音に命の危機を感じるほどの恐怖を覚えるので過去世療法を受けたり、自分の思いつく限りのことはしたつもり。

しかし全く効果はなし。



そうこうしているうちに


忘れもしない9月18日の明け方4時頃。

吐き気がしてトイレに駆け込もうにも目が回って歩けない。

家族に抱えてもらってやっとのことで階段を降りてトイレにたどり着き、吐き気は頻繁に襲ってくるのに胃からは何も出ず、そしてぐるぐる回る洗濯機に放り込まれたような、それ以外の言葉では言いあらわせないような、それはもうひどいメマイで起き上がれない。


そして人生初の救急車のお世話になって、鮮血を吐いたりメマイで頭がぐるぐる回りながら、やっとのことで受け入れてもらえる救急病院へ。




ここで、どうしたことか?!


あれだけ何も聞こえなかった耳が、救急車の中で家族と救急隊員の話す声が聞こえた!!!


病院ではメマイ止めの注射とメリサロン錠、そして吐き気止めのメトクロプラミド錠を飲んでしばらく寝かされ、5〜6時間ぐらいに後に帰途につく。


これがメニエール病なのか!?


いつまたあのひどいメマイが襲ってくるのかわからず怯えて暮らす日々だったけれど、耳の聞こえが回復したのは何よりも嬉しかった!




しかし、聴力の回復は数ヶ月間だけのことだったとその時の私は知るよしもなく、普通の生活に戻りましたとさ。

(でも、耳に関する本を山ほど購入して、そこに書かれてあることは実践していたのだけれど)