きょう9月29日は『鈴の屋忌』、
あの古事記伝で有名な国学者、本居宣長の亡くなった日です。

本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。
名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。
また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「国学の四大人(しうし)」の一人とされる。
生誕・・・享保15年5月7日(1730年6月21日)伊勢国松坂=三重県松阪市で生まれました。
死没・・・享和元年9月29日(1801年11月5日)@伊勢国松坂。

◆白川静先生は『文字講話Ⅲ』のなかで本居宣長の「直毘霊〔なおびのみたま〕」について次のように書かれています:

 後期万葉から以降、日本の歌は殆んど思想性を失う。歌は[古今]の序にいうように、「色好みの家」にのみ行なわれ、相聞の歌・恋の歌ばかりになって、幕末まできてしまったといってよろしいのです。文学は社会性を失って、そのまま今日に至った。思想性を失ってそのまま今日に至った。これは単に歌だけではない。小説だけではない。
 他のあらゆる分野を通じて、わが国における思想性への欲求が失われた。そういう現実が、日本の古代社会のあり方からきていると思う。非常に平和的に、争うことのないうちに、何となく国ができ、何となく政府ができ、何となしに借物の法律ができ、何となしに摂関政治になり、何となしに武士が勃興し、何となしに幕府ができ、というでき方なのです。だからそれぞれの時代の移り方、政治の仕方のかわり方に、これを理論づける政治的な理念・思想というものがなにもないのです。

 ごれが日本の思想史の、一つの事実である。その事実をどう考えるのか。それでは直毘霊〔なおびのみたま〕の文をみていきましょう。 宣長の主張は、「されば聖人の道は・・・實〔まこと〕の道あるが故に道てふ言【=道という言葉】なく、道てふこと【=道ということ】なけれど、道ありしなりけり」にみえますね。いちいち「言挙げ【ことあげ】」せぬことが日本流なのであって、いちいち言わねばならんということは、いわばそれの反定立としての、逆の事態が存在するということである。治めるということを言わねばならんのは、治まらぬという現実があるからであり、治まらぬ現実がなければ、治めるという言い方は必要がないのだというのが、「直毘霊」の論理です。
 ・・・白川静著『文字講話Ⅲ』p311より・・・

◆先日の安保法案にたいする紛糾ぶりをみてると、この国の政治は議会制民主主義ではなく単なる烏合の衆のあつまり聚愚制としか思えません。安倍政権に支持するつもりはないが、前回の選挙の各政党の公約と正反対のことを主張する民主党は早く社会党や社民党のように消えてなくなってしまえと言いたいところです。

・・・国会で「言挙げ」をして日本の安保体制をどのようにするか、という事がテーマであるべきなのにそれが出来ない体たらくぶりを見ていると憤りを通り越して未来にたいする失望感でいっぱいになり こんな光景は見たくない無視するしか方法がないようでイヤになりました。

 日本人の政治にたいする幼稚さはこの「言挙げ」しないのを是とする国民性にあるのでしょうか。この状況では日本の将来はないような気がいたします><;