おはようございます^L^
きょうは秋の彼岸の入りです。
きょうは秋の彼岸の入りです。
今年は秋のはじめの長雨でお空が洗われたのか・・・なんてキザですが・・・空が澄んでいて吸い込まれる深さを感じます。
見あぐれば塔の高さよ秋の空秋高し鳶舞ひしつむ城の上 子規
きのうは子規忌でした。
この句は子規が亡くなる7年前の明治28年【1898年】のきょう、松山近郊を散策したときに詠んだ句です。
松山城の南南東に位置する当時、夏目漱石が住んでいた愚陀仏庵を出発し 東の方向に石手川の堤まで進み その土手のうえの道を楽しみながら川に沿って歩くと、四国八十八箇所めぐりの霊場・第五十一番札所のの石手寺に到着します。
ここで、「見あぐれば塔の高さよ秋の空」の句と、
ここで、「見あぐれば塔の高さよ秋の空」の句と、
秋の山五重塔に並びけり通夜堂の前に栗干す日向哉
の句を創っております。
この石手寺になかある大師堂の縁側に腰かけて休憩をとります。その側らをふと見ると、一片の白い紙が落ちています。何かと開いてみると、オミクジでした。石手寺の御籤二十四番凶とあり、中には「病事は長引くナリ、命には障りなし・・・」と書いています。
正岡子規は、この年の四月に新聞『日本』の記者として日清戦争に従軍したが、休戦講和となり、帰航の船のなかで発病し重体に陥り、和田岬に上陸し神戸病院に緊急入院しました。一時は生死を危ぶまれるような状況でした。幸い病勢おとろえ元気を回復して、二ヶ月後には須磨保養院にうつり、一ヵ月後の八月二十五日郷里の松山に帰ってきました。
・・・このような境遇の子規は「病事は長引くナリ、命には障りなし」という御籤に感じ入り「自ら我が身にひしひしとあたりたるも不思議なり」と書いています。
・・・このような境遇の子規は「病事は長引くナリ、命には障りなし」という御籤に感じ入り「自ら我が身にひしひしとあたりたるも不思議なり」と書いています。
身の上や御籤を引けば秋の風山陰や寺吹き暮るる秋の風護摩堂にさしこむ秋の日脚哉
ツルベ落しの秋の日を正面に見ながら、道後の方に道を取り帰途につきます。
帰り道は現在の道後公園の南側を通り、愛媛大学の方へ南下して、もと来た道をすすみ漱石の住む愚陀仏庵を目指します。
帰り道は現在の道後公園の南側を通り、愛媛大学の方へ南下して、もと来た道をすすみ漱石の住む愚陀仏庵を目指します。
芙蓉見えてさすがに人の声ゆかし
・・・当時は途中に出会う人もいなかったでしょう。今では考えられないことですね^L^
・・・こういうのを人は文学散歩というのでしょうか^L^古濠や腐った水に柳ちる四方〔よも〕に秋の山をめぐらす城下哉稲の香や野末は暮れて汽車の音鶏頭の丈を揃へたる土塀哉
まさをなる空より落つる鳶の影 青柹郎
・・・この句はデザインの世界なら「著作権侵害」に当るのでしょうか(笑)
◆参考文献『子規遺稿 散策集』