◆去来の墓 无妄の往くは何〔いづ〕くに之〔ゆ〕かん
 おはようございます^L^
 毎朝目が覚めると、加藤大岳先生の「続々『六十四卦雑感』」を読むのを習慣にしているのですが、今朝は大岳先生が去来のお墓を訪れたことを記していました。

 きのう、去来忌のブログ・・・と言っても2009年のブログにすこし手を入れただけですが・・・その時に去来のお墓について書き加えようかな、と思ったのですが時間がなく書きませんでした。きのうは寝坊をして株の検討で忙しくて、大岳先生のエッセイを読むのを怠りました・・・きのう、書けばよかったのですが、昭和42年冬の京都を訪れたときの紀行文かな?を掲載いたします:
  
   「无妄の往くは何〔いづ〕くに之〔ゆ〕かん」
               加藤大岳
 ・・・(前略)・・・
 墓といっても、つぎちゃんの墓ではない。俳人去来の墓である。
 この頃は何処へ出かけても観光や遊覧の人たちで混雑しているので、人混みの嫌いな私が、余儀ない仕事に関わりの無い旅に出ようと思えば十二月を撰ぶより仕方が無いが、この十二月の初めに我にもなく意気揚々として京都に出掛け【Hiroた】のは、桂離宮と修学院離宮を拝観の楽しみが出来たからであった。そして、その前日のお昼前に京都に着くと半日、それこそ足を棒にして嵯峨野の辺りを、ほツっき歩いた。そこには源氏物語や平家物語や小倉百人一首などにゆかりの古寺社が多いが、文学趣味の薄れた私には其れが目当てではなかった。強いて言えば美しさの語り聞かされている京都の竹林を眺めることを期していたと言うべきだろうか。やはり期待したとおりに竹林は私の心を捉えた。京都の地質と気候とが其れに適しているばかりでなく、土地の人達との人情にも繋がるものがあるのかも知れない。天竜寺の庭園のまわりの竹林も、祇王寺を囲む竹林も、道のそこかしこで目止まる竹薮も皆、それなりに私の足をとめさせたが、然し其れは去来の墓の前に立ったときの感動には及ばなかった。

 文学趣味は薄れたとは言いながら、旅から旅への生涯を過ごした芭蕉が幾度も訪れて滞在した落柿舎では、愛弟子の去来の心づくしのもてなしを受けたと案内書には記されているが、彼の『嵯峨日記』には「落柿舎は昔のあるじの作れるままにして、処々頽破す。なかなかに作りみがかれたる昔のさまよりも、今のあはれなるさまこそ心とどまれ」と記されていると言う。これも案内書の手引きに依るのであるが、何かの本で読んで記憶にとどめ
ている芭蕉にまつわる謎の女性の訃を知ったのも此の落柿舎であったということなどが、私の足を落柿舎へと向わせたのである。

 落柿舎を出て其の横手から小暗いまでに木や竹の繁った小道を辿ってゆくと繁みの一角に十坪ほど空間の開けた平地の、幾つかの石塔の散らばった中ほどに、去来の墓が据えられていた。墓と呼ぶのに其の名が相応しいかどうかわからない。目印に立てたと言うほどの一尺ばかりの先の尖った石である。ハイキングの若者が供えたのであろうか、その墓の前には数個の蜜柑や棒チーズや板チョコレートが置かれていた。ぶちこわしの心ない親切気と言うべきかも知れないが、それがまた現代風俗の一端なのであろう。

 しばし其の墓前に蹲まっていると、電流にも似た衝撃が私の身の中を走った。恐らくは代表的な句でも刻まれた巨大な碑かと予期していた其れが思いもかけないものであったのが惹き起した感動に相違ない。周易・无妄の初九には「无妄ニシテ往クトキハ吉ナリ」とある象伝に「元妄ノ往クハ志ヲ得ルナリ」と伝釈しているが、如何にも是れが飾りを好まぬ去来の遺志が、そのままに活かされた姿であり、俳詣の真髄は此のようなところにあるのかと、私は感動のままに軽々しくも悟りめいたものを感じたりもしたのである。

 翌る日は、宿に頼んで朝食を早目にして貰い、朝早く宿を立って桂離宮を拝観し、それから知恩院の佐藤春夫先生の墓に詣で、午後は修学院離宮を拝観、田中洗顕氏に山茶花の見事さを吹聴されていたので車を待たせて詩仙堂などまで覗き、最終の列車で京都を立って帰路についたが、庭などばかり見歩いた所為か、列車の中では厭でも自然と人間との関係が、いろいろと考えさせられたのであった。

 桂離宮に就てはグロピウス博士が「偉大な人間の想念の驚くべき単純性に依て無形のものが実体的なものに依て表現され其の限りなき簡素と釣合の故に最も近代的」と嘆賞されたとのことであるが、その素朴と調和と典雅さは今や世界的に評価されているので、私などが言葉を挿む余地は無く、見事さに感じ入るばかりであり、また造園の知識もなく鑑賞の素養もないので、他の数々の京都の庭園に対しても烏滸がましく意見など述べるつもりは毛頭無い。

 庭園というものは自然の美を目の前に鍾【あつ】めて其の陣列に調和を与えようとしたものであるに相違ない。それは自然そのままを移したものではなく、人間の美観に依て取捨されたものなので、人間に恐れられ嫌われる自然の一面、周易の「无妄ノ往クハ何ニ之カン」的な自然は全く切捨てられている。然し自然の偉大さは其の无妄の、美を超越した逞しさを具有するところにあるのではないかという気が私にはする。それ故、心字池の廻遊式庭園は、どれも型に嵌っていて私には少し退屈である。もっとも型の中には型の美しさがあり、その型の中に変化を生むところに造園の技が競われているに相違ないが、それを鑑賞する素養が自分には無いのである。

 また石庭や白砂の庭などは、全く趣きを異にしている。嘗って私は是れらの庭を盆景の親玉などと暴言を吐いたが盆景は自然の美しさを移し植えようとしたコマシャクレた幼稚さがあるのに、石庭には直接的には自然は何も移されてはいない。自然ばかりか人生をさえも想念する媒体として石や砂が配されているだけである。易の算木を投げ出して置いたようなもので、その抽象の上に私たちは具象を描く。そこには无妄の自然も亦描出されよう。

 庭園の多くは、自然を人間の側に引寄せようとする意図が窺われるが、然し修学院離宮には、自然の側に人間を溶け込まそうとする意図と規模とがあるように見受けられた。それとても限られた自然であり、真に无妄の自然は、やはり芭蕉のように此方から足を運んで接しなければ、把むことが出来ないのかも知れないが。

 半ば仮睡の列車の中での妄想である。こんなデタラメ言を呟きながら、またそのうちに京都を訪れ、こんどは京都を根城にして大和路を、ほツっき歩いてみようなどと、何時かなう的【あ】てもない希望を夢のように抱いたのである。

   ×  ×  ×

 ちょうど大岳先生が去来の墓を訪れた年の秋、マンジュシャゲの華が咲いているころ、去来の庵・落柿舎を訪れました。そのとき去来の墓もおまいりしました。その近くで、なぜか信楽焼のタヌキの置物を買ったことを憶えています。そのタヌキさんは、徳利を枕に寝ていて、傍らには本が開いたまま無造作に置いているものでした(笑)

 たまには京都を訪れたいと思うのですが、いろいろ考えると億劫になり『雍州府志』を読んで行ったつもりになっています^L^