◆きょうは関東大震災の日。
 ちょうど92年まえの大正2年【1923年】9月1日午前11時58分にM7.9の地震が発生しました。

 家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害を被りました。
 ちょうど、昼食を準備をしている時間帯でしたので、各所で火災が発生し、火災による被害が拡大したそうです。

◆きょうは関東大震災から一ヶ月余りあとの大正12年10月3日から5日の東京日日新聞の夕刊に掲載された幸田露伴先生の『震亨〔しんはとおる〕』という記事について、その感想を薮田嘉一郎先生が書いたエッセイを紹介いたします:

   『震 亨』  薮田嘉一郎

 雑誌が来ると、まっさきに編集後記を読むという人が少なくないが、私は『易学研究』『実占研究』が来ると、まっさきに巻頭言を読む。巻頭言だから、真っ先きに目につくのは当然だが、雑誌によっては、それがありながら、そんなものあったのかいな、といったのがあるから両誌のそれには私をよほど惹きつけるものがあるのである。両誌はそれぞれ特色があって、加藤先生のは柔かく滋味があり、紀藤先生のは堅く勇健である。滋味もちろんありがたく、勇健は清涼飲料水の広告文ではないがスカヅトする。兼ねたらどうかというと、却って面白くなくなろう。

 『易学研究』二月号の巻頭言は「黙雷」という題であった。「黙雷」という同人雑誌があったが、先生は「黙雷」などという熟語があるのかどうか私は知らない。・・彼(雑誌の主宰者)は仏文科の学生だったので、フランスに其のような言葉があって、その翻訳かも知れないと言われている。

 しかし「黙雷」という語はたしかに日本にあった。私の青年時代、京都の臨済宗建仁寺派大本山建仁寺の管長の名を「竹田黙雷」といった。「黙雷」は禅語であろう。鳴る雷はあるが、黙っている雷はない。こういう意義背反の連語を作るのは禅僧の常套だからである。この語には支那か日本か出典があるにちがいないが、私は知らない。これはどうしても磯田英一禅師の御教示を得なければならない。しかし、加藤先生が、誌名発案者が仏文科に学んでいた者だから、フランス語でないかと推理されたのを面白く思った。大学法学部のフランス法学を修める科を「仏法科」というが、昔、多分明治時代のことだったろうが、仏教を学ぶつもりで「仏法科」へ入学した者があったという話を想い出したからである。仏語と仏文とはこのように縁がなくはない。

 黙雷禅師といえば、そのお弟子であったAさんのことを連想した。Aさんは、三つばかり年上だが、友人でもあった。少年時代からこの禅師について参禅していた。そして「黙雷語録」を自分で作って校友会誌に載せた。片仮名書きの「ナントカデアルゾ」「ナントカジャ」といった語法が私には魅力であった。一時は私も参禅しようかと思ったが、わけがあってやめた。Aさんは今でも健在で、禅画を盛に描いて、その方面ではやや有名である。しかし私は御無沙汰している。知人の宅でその禅画を見たことがあるが仙崖ばりで、仏らしいものを略画で描き「かくのごとき末世なれども弥勒出ず」と賛がしであった。

 弥勒仏は釈尊滅後五十六億七千万年にして都率天から下生して仏法の世を再建するという。仏滅してより千五百年は正法、像法の世、以後は末法の世とのこと。末法の世即ち末世である。しかし弥勒出世は五十六億七千万年というから、現在がいかに末世でもまだ弥勒が出る幕でない。弥勒さんはまだまだ都率天で昼寝してござる。画も独創的でなく、賛も詰らないと思った。

  『文学』(岩波書店刊)の二月号に、中野好夫氏の「『震は亨る』のこと」の一文あり、面白く読んだ。「震は亨る」は幸田露伴の随筆である。『全集』第三十巻に収められであるが、解説に「初出未詳・自筆原稿を用いた」とあるだけという。中野氏はこの文章を関東大震災直後のどれかの新聞で読んだことを憶い出し捜索の結果、大正十二年十月三日から五日まで三回に分かって、東京日日新聞夕刊に載せられであったことを突きとめられたが、第三回目が『全集』に欠落しているという。それで、右の新聞掲載の文によって全文を複原【Hiro復原?】されたのである。露伴翁の易観がうかがわれて、私には甚だ興味があり、有益であった。私は若年の砌【みぎり】露伴を崇拝していたので、なおさら興味が大きいのかもしれない。

 その妙文の至味は『文学』の原文を読んで頂かねば分からないが、要領を紹介すると次の通りである。:
 第一回は、大震災と「震」卦を結びつけて、震は亨る、震来って虩々たりの彖伝に、恐るれば福を致すなりとある。恐るれば福を致し、侮り亢れば災を致すことは何事にも通じる道理である。そこで大象伝にも、君子以て恐懼修省すとある。震災前の一般社会に欠けていたのは、この恐懼脩省の工夫夫でなかったか。人々は亢り侮り、自ら智なりとし、自ら大なりとし、貴重なる経験を軽視し、智を用いて揚々として誇っていた。が、今において自ら智なりとしたことが猛火の前の紙片よりも詰らぬものであったことを悟らされた。ここに於て恐懼修省すれば更に幸である。旧態依然たらば、先に笑い後に号咷することとなり、鳥その巣を焚かれたるが如くなって大凶を得よう。屋根を豊にし、その家に蔀し、日中に斗、【氵未マイ】を見て、大光は遮られ、小光のみあらわれ、然るべき人は世に隠れ、つまらぬものが時めき、戸をうかがえば闃【ゲキ=シーンっと静まりかえり】としてそれ人なし、三歳覿【み=見・会見する】えず凶なりとは、実に震前社会の有様であった云々。

 これは全く現在のことを言っているようである。自然現象としての地震が来るか来ないか、私は知らない。しかし、震災と似た社会事相が来ないとは言えないのである。

 第二回には前兆についての感想がある。震災の前に「河原の枯れすすき」の歌謡が流行して、まさにその通りになった。前兆の真実性は科学的に証明されないが、あとから見れば前兆のごとくに見える事がある。菩薩蛮【※】行なわれて安禄山の乱【755年】が起こったという話、邵子が橋上に杜鵑【ほととぎす】の声を聞いて天下の形勢を悟ったという話。『日本書記』にも前兆としての童謡が記録されている。豈にそのことあって、然る後に悟るところありしならんや。これらはあとからのこじつけであっても、これまた社会事相解釈の一面である。為政者は詰らぬ歌謡、風俗にも心して、恐懼修省しなければならない云々【Hiro・・・況や妻のことにおいてをや・・・虚実は別として、そういう噂が問題だ】。

 『日本沈没』という小説がベストセラーになっているが、果してなにが起ころうとするか。
 第三回は「震」は地震だけではない。雷であり、振である。戦威、怒、顫、動、懼、慄、みな震である。
地震も勿論震である。しかし、ここに震と地震を結びつけるのは、人々に恐懼修省をすすめたいからである。さて、災難を戯謔の材料とすることは甚だ不仁であり、悪むべし。これが実際の災難となったときに、流言蜚語の素となるからである。貞享の俳諧に「籬まで津浪の水に崩れゆき」という荷兮【山本かけい】の句に、芭蕉は「ほとけ食いたる魚ほどきけり」とつけた。魚腹に人間の毛髪や爪などが残るのを発見して、その魚が津浪で死んだ人の屍骸を喰ったことを知るという意味である。
 このたびの震災に屍骸の川に流れ、潮に漂うを見ては、まざまざとこの句は生きてくる云々。
 文学作品のその人に迫るリアリティーが嘘談の資材となるというのである。これまた『日本沈没』などの批判と見られる。ソルガニーツイン【アレキサンドル・ソルジェニーツィン】なるものの『収容所列島』もこの類いである。真実また真実らしいものには却って害悪があるという話である。

 露伴の妙文の紹介としてはお粗末であり、また誤解があるかもしれないが、この小文によって原文を読んで頂ければと敢えて筆を執った。

   ×  ×  ×
以上、『易学研究』誌S49年3月号に掲載されたものです。

 小生も、このブログをUPするにあたって・・・先ほどですが^L^・・・『露伴全集』の「震亨」の部分を読みなおしてみました。幸い、新しい版なので東京日日新聞の五日に掲載された記事も「震は亨る続稿」として載っていました。

 第一回のところの「震来る虩虩〔げきけき〕たるは、恐れて福いを致すなり。」は震爲雷の彖伝にある辞です。
 「恐懼脩省」は「ふたびなる雷は震、君子もって恐懼脩省す」という震の大象伝の辞です。
 
 ・・・旧態依然たらば、「先に笑い後に号咷する」こととなり、「鳥その巣を焚かれ」たるが如く・・・とは、
火山旅の上九の爻辞「鳥その巣を焚〔や〕く。旅人 先に笑い後に号咷〔ゴウトウ〕する」をいったものです。

 ・・・「屋根を豊にし、その家に蔀〔しとみ〕し、日中に斗、【氵未マイ】を見て、・・・戸をうかがえば闃【ゲキ】としてそれ人なし、三歳覿【み=見・会見する】えず凶なり」というのは、雷火豊の上六の爻辞「其の屋を豊にす。其の家を蔀〔覆う=盍う〕ふ。其の戸を闚〔うかが〕えば閴〔げき〕として人无〔な〕し。三歳覿〔み〕ず。凶」のことです。

 きょうは一日静かに震爲雷と雷火豊と火山旅の下の三つの卦象を見比べて恐懼脩省することに致します。

 ☳ ☳ ☲
 ☳ ☲ ☶
 震 豊 旅