◆夏の終り

 鈴木由次郎著『易と人生・・・新井白蛾の生涯』のなかに次のような新井白蛾の詩があります:

数峰斜峙劈青空
若浪如龍雲乗風
疑是神仙頃刻画
晩来彩筆為誰紅

数峰、斜めにそばだち、青空をつんざく。
浪の如く龍の如く、雲風に乗ず。
疑うらくは、これ神仙頃刻の画、
晩来の彩筆は誰が為に紅なるを
(鈴木由次郎氏訳)
【蛇足】 
頃刻〔けいこく〕というのは「しばらくの時間・暫時 (ざんじ)」という意味です。

 真っ青な空に突き立つように数峰がそびえ立ち、
 真っ白な雲は浪のように龍のごとく風に乗って飛んでゆく。

 疑問に思うのは、この神仙が描いた束の間の絵画に
 晩来の筆をとり 紅に彩るのは誰のためでしょうか?

 晩来の採筆とは、ひとの晩年一生を終えるとき発する最期の光彩でしょうか?
 夕暮れせまる黄昏時に一瞬だけ紅く輝く雲の色でしょうか?

◇田中洗顕先生は、この詩について こんなことを書いています:

 戦時は滋賀県の八日市の飛行隊に居ましたので、暑いさなかにも補給車で飛行機にガソリンを入れる毎日でした。ポンプを漕ぎながら空を眺めると白雲が悠々と流れて行く。

 よく白雲を無心の代表といたしますが、あの時も雲を見て美しさに心を打たれて居ました。戦局日に傾く中にありながらです。三伏は三十日経てば秋涼が来るのですが、戦後四十年、本当に戦後が無くなったのでしょうか。佐藤さんは沖縄返還がそれだとしましたが、形の上では進んだものの精神的な面では何如か。自主独立の気概があるのかどうか。占領憲法の廃棄が無ければ戦後は無くならないのでしょう。白雲を見ながらの想いです。

 大岳先生は夏が好きと言われて居ましたが、活動的な夏だからでしょうか。
 和漢朗詠集から「夏日、閑にして暑を避く」を引きます。

 池冷(すず)しうして、水に三伏の夏無く、松高うして、風に一声の秋有り。

   ×  ×  ×

 戦後七十年、まだ戦争は無くなっていません><;
 今でも「形の上では進んだものの精神的な面」では、ますます退化しているように感じます。
 日本人には自主独立の気概はますます少なくなっているようです。
 自分の身は自分で守る、我が家は家族で守る、日本の国は日本人で守るという気概は大半の日本人にはないようです><;
 ジッとおとなしく待っていれば誰かが守ってくれると思いこんでいるようです><;
 悲しいかな、占領憲法の廃棄の気配も感じられない現状です。