留学。駐在員。駐妻。
海外移住(就労)、国際結婚。
海外に移住した人たちは、日本を忘れ
居住国の人たちと親睦を深め
文化と風習に溶け込み、日本食なんて
一切食べず、現地の食べ物を楽しんで。
日本の友達の事なんて忘れ。。
自分が実際に駐妻になるまでは
私が見てきた中では、日本人コミニュ
ティあって、日本の季節行事を大切に
子どもに日本語を教えてる人も多かった。
一時帰国するのを楽しみにしてる人
たちが多くて、海外で暮らしていても
日本のことを大切に思ってるんだなって
海外留学、駐在、移住者は日本の友達や
親戚の尊敬を受け、行った先には
インスタのようにキラキラした日常が
元駐妻が独身、もしくは子どもが
いない既婚者だったら、昼間は語学学校に
通って、週末はクラブに遊びに行って
でも実際は幼稚園の子がいたから
旦那に単身で海外赴任して欲しいと
旦那が先に渡米して、母子も赤坂の
アメリカ大使館で帯同ビザを受け取り
駐在員は会社から治安が良く
セキュリティ万全のコンドや
一軒家と車を1台。良質な医療保険。
幼稚園も授業料が高かったけど
今は閉店したサンマテオの「遊楽」
チーズケーキファクトリーや
パンダエキスプレスやインアウトが
会社が守ってくれた上での異国での生活
だったので、それは本当に感謝と安心
して過ごす事が出来たけど
言葉も価値観も違う国での生活は
楽しいと思うより、大変だと思うことが
多くて、3ヶ月に1回、母子で日本に
自宅は人に貸さなかったので私の母が
2週間に1回来て、管理してくれて
一時帰国は限られた時間なので
まるでパズルを合わせるような感じで
幼稚園に体験入園させてもらったり
家族や友達、親戚、元同期が時間を
調整してくれて久しぶりの再会を
駐妻さんだった頃と日本に帰国してから
奪った」と思うようになり、実際に
一時帰国した時、区役所に行って
たまたま高校時代からの友達が
旦那さんの海外移住でロサンゼルスに
住んでたから2ヶ月に1回、母子で
泊まりがけで遊びに行ったり、子どもの
習い事でお世話になった先生とお母さんの
おかげで貴重な経験も出来たけど
私がロサンゼルス国際空港で英語が
わからなくてモタモタしてる時に
アメリカ時代の友達がクリスチャン
だったから教会に行った時、牧師夫人
から「許せない人いる?」って聞かれて
本帰国して随分経ち、今は許してるから
離婚する気持ちはなくなったけど
今でもカチンとくる時があると
「あんたのせいでアメリカでは散々苦労
海外移住(就労)、国際結婚。
何て華やかな響きでしょう
海外に移住した人たちは、日本を忘れ
居住国の人たちと親睦を深め
文化と風習に溶け込み、日本食なんて
一切食べず、現地の食べ物を楽しんで。
日本の友達の事なんて忘れ。。
毎日がキラキラしてる
自分が実際に駐妻になるまでは
そう思ってたよ
もちろんそういう人もいると思うけど私が見てきた中では、日本人コミニュ
ティあって、日本の季節行事を大切に
してる人が多かった
子どもに日本語を教えてる人も多かった。
一時帰国するのを楽しみにしてる人
たちが多くて、海外で暮らしていても
日本のことを大切に思ってるんだなって
「国際結婚、移住した人のその後」を見てきました
海外留学、駐在、移住者は日本の友達や
親戚の尊敬を受け、行った先には
インスタのようにキラキラした日常が
待ってる
実際は「生活の一部。良い部分の切り抜き」
だというのもわかったよ
日本の医療制度の素晴らしさも再確認
元駐妻が独身、もしくは子どもが
いない既婚者だったら、昼間は語学学校に
通って、週末はクラブに遊びに行って
期間限定の駐妻生活を楽しんだと思う
でも実際は幼稚園の子がいたから
旦那に単身で海外赴任して欲しいと
伝えたでも旦那は家族にも帯同して
欲しかったらしく、私の心情を一切無視して、帯同ビザの手続きを
旦那が先に渡米して、母子も赤坂の
アメリカ大使館で帯同ビザを受け取り
渡米しました
駐在員は会社から治安が良く
セキュリティ万全のコンドや
一軒家と車を1台。良質な医療保険。
年に1回の日本行き航空券を用意
幼稚園も授業料が高かったけど
8割負担してくれて
ニジヤ、ミツワ。トレジョ
日本人経営のレストラン🍽️今は閉店したサンマテオの「遊楽」
チーズケーキファクトリーや
パンダエキスプレスやインアウトが
好きでした
会社が守ってくれた上での異国での生活
だったので、それは本当に感謝と安心
して過ごす事が出来たけど
言葉も価値観も違う国での生活は
楽しいと思うより、大変だと思うことが
多くて、3ヶ月に1回、母子で日本に
帰ってたよ
自宅は人に貸さなかったので私の母が
2週間に1回来て、管理してくれて
ました
一時帰国は限られた時間なので
まるでパズルを合わせるような感じで
幼稚園に体験入園させてもらったり
家族や友達、親戚、元同期が時間を
調整してくれて久しぶりの再会を
楽しんでました
お土産の定番は重かったけど
バス&ボディワークスのハンドソープ
駐妻さんだった頃と日本に帰国してから
しばらくの間、私は内心旦那を憎んでた
「住み慣れた環境と言葉と家族と友達を奪った」と思うようになり、実際に
一時帰国した時、区役所に行って
離婚届もらいに行ったこともあったよ
たまたま高校時代からの友達が
旦那さんの海外移住でロサンゼルスに
住んでたから2ヶ月に1回、母子で
泊まりがけで遊びに行ったり、子どもの
習い事でお世話になった先生とお母さんの
おかげで貴重な経験も出来たけど
あれはレゴランド に行った帰り。
私がロサンゼルス国際空港で英語が
わからなくてモタモタしてる時に
突き飛ばされた事は一生忘れられない
アメリカ時代の友達がクリスチャン
だったから教会に行った時、牧師夫人
から「許せない人いる?」って聞かれて
「旦那が許せない」って即答しました
本帰国して随分経ち、今は許してるから
離婚する気持ちはなくなったけど
今でもカチンとくる時があると
「あんたのせいでアメリカでは散々苦労
した」と言い返しちゃいます
海外での生活は価値観と性格を変えないとやってられないと学びました