パパジ:

ここからは、あなたの櫂を投げ捨てなさい。

櫂を川の中に投げ捨てれば、安全な船旅となるであろう。



質問者:私は櫂がとても気に入っているのです。



パパジ:

風があるではないか!



風があなたの面倒をみるだろう。



櫂を使うのはくたびれる。



風に任せなさい。





質問者:櫂を捨てることを想像すると恐ろしくなります。




パパジ:


今がその時だ。



私が「櫂を捨てなさい」と言うこのときこそ、




それをするべきときなのだ。



『覚醒の炎』より






私達は常に、この世の常識に囚われて生活している。


あれがないと生きていけない、あと何千万の貯金をし


ないと、もっと社会的な地位を持たないと意味がな


い、などなど数限りない不安を抱えて



いわゆる世の中のステータスに踊らされているのでしょうか。



私達の中には生存本能的な恐怖があります。




根底にあるのは死への恐怖なのです。


だから、すこでも健康に、長生きして行きたいと思う生き物なのです。




だから、その不安を解消するために多くの所得を得たいと考えます。





ですが、私達が不死の存在だと知っているなら




その不安は全く必要がありません。




全ては神が面倒を見てくれるのです。





パパジへの、質問者のように、これがないと不安です





と言った衝動は私達に常に付き纏う事ですが、



神に全てを全託して、その波に乗る航海に出るときは


今なのです。



恐れのない状態は、きっと明日の風向きや、食料や、



死への恐れを超越しており



ただ今を生きていくことです。




今必要なことが全て完璧に在り、必要な事がただ起こ



るだけなんだと。



マスターはただ、内なる自分自身へ光を当て、




その一歩先に進み出す力を与えてくれています。