寝れないだろうと思いきや、意外とあっけなく就寝した。


一夜明けると、本当は夢だったのか?と何度も自分に問いかけているが、周囲の家族の話ではどうも本当らしい。



日頃、奇跡講座やアドヴァイタの真理を探求しているからなのか


目の前の悲惨な現状をまともに捉えられなくなってきている自分に気付いた事が本当にありがたいと感じる。


人から見たら馬鹿じゃないのと思われるかもしれないが、悲惨な状況でも身体はその本来備わっている危機意識にともない自動的に行動が起き、またとりあえず通帳や、お財布があれば何とかなるかなど、思い出を持ち出す様な馬鹿な執着心もなかった。


むしろ、写真やアルバムなんかは燃えてもしかないやと瞬時に感じたのは聖霊の導きでしかないと思う。



全ては完璧なんだろうな。


何も考えず、全託すればよい。


自己であれやこれや考えて判断を下したり、結果にこだわったり、まだ来ぬ未来を心配する必要もない。



悲惨な状況に囚われない事。


目の前の状況を判断するのは私の心が決めている。



あんなに大騒ぎがあったのに、水漏れせず無事で、
自宅で就寝出来たってびっくりだ。



もしかしたら、火災が広がったり、漏水で自宅がビショ濡れになったりして夜も眠れない


なんてパラレルもあったやもしれないな。





パパジがこんな事を言っていた↓

「過去の物事にしがみついているのは心でしかない。

心とは主体と過去から引き出す対象物との間に起こる取引なのだ。

だが、あなたの中にはこの取引が行われない場所がある。それが祝祭の場所なのだ。


あなたは、心とその想念の中に生きている。なぜなら、あなたの世界は心によって制限され、心を超えた彼方にあるものを知る事が出来ないからだ。そして精神的活動が起こる以前に存在しているものを言葉に表すことは出来ない。

感覚はいつも過去の出来事にしがみついている。心はその感覚を通してあなたを過去へと連れ戻す。


あなたが見るものはすべて心の創造物であり、心は常に過去の中にある。
時間の存在しない現在の瞬間には心も存在しない。

心がどこから現れるのか見出しなさい。

そして、それがその場所に消えるのを見守りなさい。

そうすれば、あなたは時間もその場所に消え去る事を発見するだろう」