翌日、朝一で出発しました。叔母のコロナクーペはアメジストシルバーメタリック(多分)のGT-R ATでデジメタと当時は画期的だったCDプレーヤーが付いていたと記憶しています。セットオプションの制約上ESCやTEMSは付けられなかったものと思われます。



※写真はイメージです

私と両親・祖母と叔母の5人で すし詰めです。しかしクーペでありながら、大人5人でなんとか遠出できる居住性がありました。ちなみに私のセリカ(GT及びGT-FOUR)はサンルーフ付で車内高が35㎜削られているため、後部座席の中央は使い物になりませんでした。

運転者は3人いましたが、私も運転しました。私は当時1.5ℓ(ハチゴーと同じエンジン)に乗っていたので、「なんて軽やかに吹け上がるエンジンなんだビックリマーク」とカルチャーショックを受けたものです。しかし、よく初心者の私に大事なコロナクーペを運転させてくれたものです…。


当時、高速交通網はあまり発達してなく、ほぼほぼ下道を行った気がします。軽井沢の辺りで驚異的な渋滞に巻き込まれたり、エアコンがなぜか壊れていて窓を開けて走ってたら雨が降ってくるしで、到着時にはすっかり日も暮れていました…。

※写真はイメージです

2日続けてヘトヘトになり、翌日に叔父さんのお見舞いに行ったと記憶しています。叔父さんはその時はまだ意志の疎通が出来たのですが、その一週間後位に亡くなりました。あの時、頑張ってお見舞いに行って本当に良かったと思っています。

私も叔母さんのように、いくつになってもクーペをこよなく愛すカッコいい大人でありたいと思います。