最近、僕の宇宙への関心が高まっていることは記載頻度でもお分かりでしょうが、今回も心躍る話を一つ・・・
英科学誌Nature Geoscienceに掲載された最新の論文によると、欧州宇宙機関(ESA)の火星探査計画エクソマーズとマーズ・エクスプレスの周回探査機2機が火星の赤道付近のタルシス高地にある火山で初めて霜を発見したそうです
そもそも、火星の赤道域は日照量が多く、火星の大気が非常に薄いため、霜が降りることは起こり得ないと長年考えられていたものの、最新の画像はそうではないことを示しているとのこと
因みに、火星は地球に比べ直径は半分ほどの大きさで、大気も地球の1/160程度と大変薄く、気温も▲120℃〜0℃と変化が激しく、エベレストの3倍の高さを誇る巨大火山のオリンポス山や、3つの楯状火山が並ぶタルシス三山があるなど、まだまだ謎だらけの星となっており~
と言うか、僕にとっての最大の関心は、1898年に発表されたイギリスのSF作家ウェルズの小説「宇宙戦争」に登場したような頭が大きく、手足の細いタコのような火星人の存在だけど、さすがにこういうのはいないかな~笑
本編はここから
【2023年GWの楽しい旅編 その11】
G−G ダイナー関ケ原で殿さま★プレートを食べ、すっかり殿さま気分を味わった後、関ケ原の戦いの決戦地を訪れました
ここは関ケ原の戦いにおける西軍大将の石田三成陣地の目の前にあり~

東軍・西軍が雌雄を決する戦いをしたかと思うと、感慨深いものがありました

と思ったものの、実際には~

『関ケ原古戦場碑とのコラボ写真だなんて一生もんだよ~
』

と言い、嫌がる息子君を無理やり立たせて~

『はい、チーズ
』

『うんうん、いい写真が撮れたわ~
』

うんうん、さすが戦場のど真ん中に立てる看板なだけに、こういう遊び心は大事だよね~


と言いつつ、テクテク歩き~


後を振り返ると、こんな感じののどかな風景が広がってたけど、この狭い地域に東西合わせ15万人とも16万人とも言われる兵士が集まっていたとは、にわかに信じられないような感じだったよ~


その後、テクテク歩くと~


島左近陣地に到着


島左近は「三成には過ぎたるものが2つあり、島の左近と佐和山の城」と謂われるほどの逸材で、「誠に身の毛も立ちて汗の出るなり」と言われるほどの奮闘を繰り広げたものの、最後は力果てこの地で最後を迎えました


また、島左近陣地の横には、石田三成陣跡の看板が設置されていて~


逆茂木の間を通り抜ける道があったので~


『こんなとこ乗り越えられんわ~
』


と今の世の僕は語れるけど、当時の兵士は命を落とすのを恐れず、乗り越えたんだろうなと思いつつ~


ヒィヒィ言いつつ登っていくと~


『おお~っ
』


遂に石田三成陣跡に到着しました


ここからは関ケ原の全景を眺めることができ、指揮するのは最適な場所だったけど、西軍武将の様子見・裏切りなど、想定外のことが次々と起こり、どんどん追い込まれていくさまを見るのは辛かっただろうなと思うと、何だか切なくなってきました


また、ここには当時の布陣の様子が分かるようパネルが設置されていて~

地図も踏まえて、往時のことに思いを馳せてると~


『地震だ~
』

との誰かの叫びにふと我に返り、急に現実世界に引き戻されました
因みに、ここの揺れは震度2~3程度だったと思うけど、この時の地震は石川県能登地方を震源とし、マグニチュードは6.5、石川県の珠洲市では最大震度6強を観測するような相当大きい地震だったけど、今年正月にはこの規模を遥かに超える巨大地震が発生するとは誰も思ってなかったことでしょう
謹んで能登半島地震でお亡くなりになられた方に哀悼の意を表するととに、被害に遭われた方にお見舞い申し上げます
また、関ケ原の合戦で亡くなられた8千人もの武将・兵士の方に心の中で手を合わせ、平和な世のありがたさを改めて感じつつ~

元来た階段を下りて行き、関ケ原の戦場を後にしました










その後、訪れたのは1964年(昭和39年)に開園し、関ケ原の合戦模様を200体以上の戦国武将のコンクリート像で再現している関ケ原ウォーランド

そろそろ時間も限られてきたので、史跡を巡ろうか、ここに来ようか悩んだものの、ここは何だか面白そうなのでミーハー気分全開で訪れたのよ~


と言うことで、甲冑鎧に見送られながら~


さっそく園内に足を踏み入れると~


『あらっ・・・
』

こういうレトロな雰囲気は大好きだなと思いつつ~


顔出しパネルを見つけたので~

『はい、チーズ
』


『息子君、いつまでも付き合ってくれてありがとう
』

その後、合戦の陣形図を眺めた後に~


ウォーランド散策マップを眺めた後に~

『レッツゴー
』


と言いつつ、右手に向かって歩いて行くと~


ここは最後まで様子見を決め込んだ毛利・吉川などの陣地だったけど~


みんな冷静な感じで立ち止まり~


大将の毛利秀元ものんびり座ってる感じだったよ~


その後、テクテク歩き出すと~


『うわっ、首持って歩いてる~


『こっちはいくつも運んでる~
』


と衝撃の数々にビックリしながら~


徳川家臣団最強と言われた本多忠勝や~

(山田裕貴さんが演じてました)

井伊直政が奮戦していて~

(板垣李光人さんが演じてました)

ここには200体以上の武将が飾られているだけあって~


『うわっ・・・
』


『ああ~っ・・・
』


『うう~っ・・・
』


『おお~っ・・・
』


としか言いようがないようなバトルが、冒頭で紹介した決戦地に近付くにつれ激しくなってたよ~


その後、誰かが転んで今まさに刺されようだと思って、近付くと~


そこにいたのは、先ほど紹介した島左近で~


襲い掛かるのは黒田家の猛将の後藤又兵衛で、歴史好きには堪らない場所だと改めて思いました


その後、鉄砲隊を見つけ、どこを狙ってるかと目を凝らすと~


狙いの先にいたのは~


関ケ原の戦いにおける西軍総大将の石田三成だ~

(中村七之助さんが演じてました)

この姿は勇ましかったけど、この戦いの敗戦後に捕縛され、京都六条河原で処刑されたことを考えると、毛利家を始め、だんまりを決め込んだ諸将たちに憤りを感じていたでしょう



また、ここには結構リアルな人形があったり~

若かりし頃の宮本武蔵もいたけど~

『あはは・・・
』


『我こそは武田信玄の亡霊じゃ、もう争いはやめい、ノーモア関ケ原合戦じゃ
』

とここには書かれてたけど、武田信玄の亡霊を持ち出すなんて、思わずウケちゃいました

その後、向かったのは~

と言うことで、ウォーランド見学はこれにて終了・・・
ここでは観光客を殆んど見なかったけど、レトロな感じがいいので、皆さんにもお勧めですよ~

ただ、夜だと生首などがリアル過ぎて、夢に出そうだけど~


関ケ原観光もこれにて終了し、再び高速道路に走らせ、息子君の住む街へ戻っていきました

長ロングな本シリーズも残すところ後3話、お付き合いよろしくね~
