10月16日の谷村新司さんに始まり、19日には財津一郎さん、22日にはもんたよしのりさん、24日には櫻井敦司さん(BUCK―TICK)と立て続けて有名芸能人の方々がお亡くなりになりました
謹んでご冥福をお祈りします
なお、櫻井敦司さんは僕と僅かの年齢しか離れておらず、今まで以上に健康管理には気を使わなければいけないなと思いました
寒い日は突然死のリスクが高まりますので、僕も当然ですが皆さんもくれぐれもご注意ください
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【令和4年秋の関西への旅編 その8】
大垣市のことは前2話に亘って書いてきましたが、大垣は戦国時代に関する顔とは全く別の顔があり・・・
ここで話を観光スタート開始時点、大垣編第1話(その8)に遡って~

大垣城に向けてテクテク歩き出すなか、発見したのは
芭蕉と出会う街 ミニ奥の細道の看板


江戸時代の大垣は、東西交通の要所、東西文化の接点として、経済・文化が発展し、1689年の秋には松尾芭蕉が5ヶ月間かけ2,400kmも歩き続けた奥の細道の旅を終えた場所・・・
このことを受け、
大垣市は奥の細道で詠まれた句を句碑として、市内を流れる水門川沿いの四季の路に設置し、ミニ奥の細道として整備したそうです

なんて話を聞いたら、フツフツとミーハーな血が騒ぎ出し、大垣城に向かうルートとは全く異なるものの両ルートとも歩きたくなり、得意の分身の術を用いて、本隊は直接大垣城へ(これが第1話の話ですね)、別班はミニ奥の細道ルートを歩くことにしました

(どこまで信じるかはあなた次第ですよ~

)
と言うことで、さっそく別班は奥の細道ルートを歩き出すと~


松尾芭蕉が奥の細道を開始するにあたって、
東京千住で見送りの人々と別れるときに詠まれた~

「行春や 鳥啼き魚の 目は泪(ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)」
の句碑を発見

うんうん、僕の
奥の細道もここからスタートだなと思いつつ~

マップのルートに沿ってテクテク歩いていくと、見つけたのは
平泉で詠まれた~

「夏艸や 兵共が 夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」

この句はあまりにも有名だよねと思いつつ~


ここにあったのは
山形県尾花沢市で詠まれた句碑

「涼しさを 我宿にして ねまる也(すずしさを わがやどにして ねまるなり)」
『まだ山形県か〜

』
僕の旅もまだまだだなと思いつつ訪れたのは
大垣大神宮
さっそく本殿に向かって~

『コロナが早く収まりますように

』
『息子君の悩みが解消されますように

』
と静かに手を合わせました

その後、歩き出して見つけたのは
山形市の立石寺で詠まれた句碑

「閑さや 岩にしみいる 蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)」

「この句はみんな知ってるよね

」
と思いつつ、歩いて行くと~

山形県新庄市で詠まれた句碑を発見

「さみだれを あつめて早し 最上川(さみだれを あつめてはやし もがみがわ)」

『うんうん、これも有名だよね~
』
と思いつつ、辿り着いたのは大垣八幡神社
当社は
大垣市総鎮守と言われていて~

まずは拝殿に向かって歩くと~

『コロナが早く収まりますように

』
『息子君の悩みが解消されますように

』
と、静かに手を合わせました

また、さざれ石は各所で見たことあり、ここにも君が代にも登場する
さざれ石があったけど、ここのは一番大きいかなと感心しちゃいました

さらに、ここにも自噴水があったけど~

次から次に水が溢れていて、大垣は本当に水都と言われるだけのことはあると思いました

その後、再び
四季の道を~


金沢で詠まれた句碑を発見

「あかあかと 日は難面も 秋の風(あかあかと ひはつれなくも あきのかぜ)」
おっ、漸く金沢までやって来たかと思っていると~

現れたのは
神の田地蔵
その昔、ここは八幡神社の神田(しんでん)だったと言われ、このお地蔵さまは人々の心の支えとして愛されてきたそうです

その後、いい感じの紅葉を見ながら歩いて行くと~


那田寺(小松市)で詠まれた句碑を発見

「石山の 石より白し 秋の風(いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)」

漸く小松まで来たかと思いつつ、更に歩くと~


敦賀で詠まれた句碑を発見

「名月や 北国日和 定なき(めいげつや ほっこくびより さだめなき)」

また、ここにあった四季の路の地図をしげしげ眺め、もうすぐゴールが近いことを確認すると~


さっそく、四季の広場に到着

ここには水の音が聞こえてきたので、階段を降りると~


ここには
滝のカーテンがあり、シャワーのように水が流れてたよ~


そして、
色の浜(敦賀市)で詠まれた句碑を発見

「さびしさや すまに勝ちたる 浜の秋(さびしさや すまにかちたる はまのあき)」

さ~、いよいよ奥の細道も終わりだなと思っていると、
奥の細道むすびの地記念館に到着しました

松尾芭蕉が敦賀まで迎えに来ていた路通(ろつう)とともに大垣に到着すると、曽良をはじめ多くの門人が集まり、芭蕉の無事と旅の成功を祝ったそうです

(僕の旅の成功は誰も祝ってくれないけど~

)
と言うことで、いつものように顔出しパネルの写真を撮ったり~

おあむ物語のパネルをパチパチしてると~

(おあむ物語のことは、第1話・今シリーズその8をご覧の人は分かるよね~)
『めっけ

』
マスク姿の松尾芭蕉を発見したけど、やっと会うことができたなと感慨深いものがありました

(って、大袈裟すぎますか~

)

記念館には松尾芭蕉に係る展示物が多数あったけど、写真NGなので、興味ある人は足を運んでみてね~

また、この横には
むすびの泉があって~


下を眺めると~
『おお~っ

』
ここも水がいっぱい湧き出てたけど、市内各所で水が湧き出ていて、本当に水が多い街だなと思いました


その後もテクテク歩き続けると~


住吉灯台と~


船町港跡を発見

江戸時代、船町港は、水門川から揖斐川を経て、桑名宿へ至る重要な川湊であったとのことで、往時に思いを馳せつつ眺めると感慨深いものがあったよ~


その後、雰囲気のよい通りを歩いて行くと~


住吉神社を発見し、またまた願いを込めながら静かに手を合わせました


この後、駅に戻る道すがら~

ソフトが美味しいと評判の店は、残念ながらお休み

ま、この日は平日だから仕方ないなと思いつつ、更に歩くと~

『おっ・・・

』
毎度のようにマンホールが気になったけど、ここまで見てくれた人はこれが何だか分かるよね~

その後、駅前に向かうと、シャッターに描かれた絵は可愛かったり~

さ~、楽しかった大垣散策もいよいよ終わり・・・
大垣駅に到着すると~


米原行きの列車に乗り込んだけど、あまりに疲れていたので、すぐ眠っちゃったのは言うまでもないですね


この日は大垣城が休館日だったり、見所が多すぎじっくり見ることができない場所があったりしたので、また訪れたいなと思いつつ、大垣市に別れを告げました
