【歴史溢れる長府編 その1】
『動けば雷神の如く、発すれば風雨の如し。
衆目駭然として敢えて正視する者なし、これ我が東行高杉君に非ずや。』
前回までは、静岡編をお送りしましたが、今回は山口県下関市内の長府編
まだ紅葉が残っていた昨年12月7日に訪れた記事をご覧ください
長府に着いて、まず訪れたのは「功山寺」
「功山寺」といえば、幕末歴史好きの人にとっては欠かすことのできない寺ですが
まずはその由来から
「功山寺」は、1327年に創建されて、当初は「長福寺」と号しました
その後、京都を追われた足利尊氏が立ち寄ったり
名門死後大名の大内氏が滅亡した地で
毛利氏の繁栄の礎となった寺でもありますが
江戸時代に入り、毛利秀元により「功山寺」と改められました
そして、京都「蛤御門の変」にて幕府軍に敗れた長州藩が幕府に恭順を示すなか
1864年12月15日に死を覚悟して、この地にて高杉晋作が長州藩への決起を決意しました
彼に従ったのは、伊藤博文を始めとする僅か80人の仲間でしたが
この流れが、坂本龍馬らの協力も得て、統幕へと繋がっていったんですよね~
訪れたのは、高杉晋作が挙兵したのと丁度同じ時期だったので
同じ気分を味わってくださいね~
さて、当時と変わらぬ姿を残す総門を通りすぎると、参道が広がっていました~
実は今回訪れたのは、高杉晋作が維新を決意して何度も潜ったこの山門が
大改修事業により、一旦取り壊されるため
往時の姿をこの目に焼きとめるためでした
右に曲がると~
彼は挙兵したのち肺結核にかかり、大政奉還直前の1867年5月17日
29才の若さにて、この世を去ったのでした
因みに冒頭の句は伊藤博文が建立した「高杉東行顕彰碑」にその勇姿を記した言葉ですが
あなたの信念を曲げない、その勇気には拍手喝采ですよ~
そして、この古莉にはまだまだ見所があり、国宝の仏殿では特別に開扉しており~
国宝仏殿の本尊、千手観音などを見る事ができました
(但し、写真はNGだったのが残念でしたが…)
それにしても、この時期は紅葉が見事でしたよ~
その後、法堂に入ると~
そこには、坂本龍馬の遺書の複製が置いてありました
この手紙は、坂本龍馬が自分が死んだ後に残される妻お龍のことを
盟友三吉慎蔵に託した手紙で、深い愛情を感じることができましたよ~
因みに、本物はこの隣りにある長府博物館に収蔵されていますが
そこには「新政府綱領八策」もあるんですよ~
そして、ここにある木の中をよく見ると~
霊験あらたかな仏像がありましたよ~
それにしても、この風景を高杉晋作も見ながら挙兵したかと思うと
感慨もひとしおでしたよ~
歴史を知ることは、やっぱり素敵だよね~
だって、入口の総門にあるこの刀傷は~
高杉晋作の功山寺決起の際に志士たちが切りつけたものなんだって
知ってるか知らないかじゃ、月とスッポンぐらいの違いがあるよね~
歴史溢れる長府編、まだまだ続きますよ~
【「青ブロ」のバックナンバー】
幕末編といえば⇒『露と消えた坂本龍馬の夢』編
前回の山口編⇒『西の京、山口へ♪』編