【北海道も暑いぞ~編 その8】
『たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらん』
ここ函館は戊辰戦争終結の地で、新撰組副長の土方歳三が夢と共に散っていった場所としても有名ですね
京都を追われた新撰組は関東に逃れたものの、会津若松でも敗れ、土方歳三らは函館の地にやって来ました
そして、北の大地に旧幕府の人たちを移住させようと目論みますが、新政府軍に敗れ
徳川家を守り、盟友近藤勇の汚名を晴らし、故郷に錦を飾りたいという夢も儚く散ってしまったのです
そんな彼のお墓が函館駅から徒歩10分ほどの位置にあるので
8時前にホテルをチェックアウトして、急ぎ足でやって来ました
たどり着いてみると、知っている人しか分からない、そんな何気ない場所にひっそりとありましたが

お墓には、沢山のお花と遺影が飾ってありました~

彼が京都で行ったことに対しては、賛否両論あるでしょうが

北の大地で果てるまで、我が身をかけて徳川家に忠誠を貫き通したことは立派だと思っています

因みに冒頭の句は、彼の辞世の句ですよ~

その後は、市内電車に乗って五稜郭まで移動

まずは「五稜郭タワー」(入場料840円)に上ることにしました

「五稜郭タワー」とは、107mの高さでそびえ立っており

五稜郭観光の定番コースはまずここから眺めるのが、基本中の基本なんだそうです

そこで、早速エレベーターに乗り~

五稜郭を見下ろしましたよ~

五稜郭は角がキレイな形をしていますが、キレイな形の角ですね(画像1)

こっちもキレイでしょ(画像2)

この2つは後から出てきますので、ちょっとの間だけ覚えておいて下さいね~

五稜郭は大きくて、1枚の写真に入りきれないので、1/250スケールの模型をパチリ

ここには「五稜郭歴史回廊」がありますが、新政府軍を函館に入れまいと戦う姿とか

新政府軍に占領された函館を奪還すべく切り込んでいくジオラマ等が展示されていました

この直後に銃弾に倒れたそうです

死してなお大勢の人から愛されているあなたは、紛れもなく日本史に残る英雄の一人ですね~

そして、タワーのお馴染みといえばこれ

『おお~っ

タワーに上り、これを見つけると必ずこの写真を撮ってますね~

そういえば、函館市内では至るところにこの記念撮影用ボードがあるので、パチリ

「タワーロボ」と「イカール星人」ですね

1階に下りてきて、エレベーターホールの裏にあるアトリウムに行ってみると~

再び凛々しい姿で立っていましたよ~

その後、売店に行き、せっかくの記念なのでセンスのいい扇子を買いました

今、微妙に寒いダジャレが入りましたが

『寒~い』とか言ったらダメですよ

おっ、先程と同じブロンズ像もあるじゃないかと思いつつ、プライスカードを眺めると~

大:399,000円(55cm)
小: 73,500円(20cm)
『ま、マジで~~~



確かに物はいいんでしょうが、一体誰が買うんだ~い

そして、その足で五稜郭へとやって来ました

これは、先程の左下の角(画像1)ですよ~

やはり、上から見た方が形は分かりやすいですね

そして「一の橋」を渡り~

そして、「半月砦」(先程の画像2)の上に上り~

先端部分に近づき~

ビビりながら、へっぴり腰でこの写真を撮りました

頑張ったでしょ

その後、門を潜り~

藤棚のような涼しい空間を潜り抜け~

函館奉行所にやって来ました

そもそも五稜郭とは、この函館奉行所の外堀のことで

日米和親条約により、下田と函館が開港したことにより

防衛上の観点から函館奉行所を函館山麓から当地に移す際に作られたものなんですよ

そして、新しい要塞の設計を任された武田斐三郎によりヨーロッパの「城郭都市」をモデルとし

蝦夷地の要として1864年に完成しました

しかし、その後は函館戦争の舞台となり、戦後の1871年(明治4年)には殆んどの建物は解体されたそうです

新しい時代の象徴として誕生したのに、封建制度の終焉の地となったのは、皮肉なもんですね

そして、2010年(平成22年)に140年の時を経て再現されたんですよ

早速500円を払い館内に入りましたが、72畳もの広さを誇る大広間や

札幌のJRタワー展望室以来、気になるようになった男性用トイレ(展示用のため、使用不可)をパチリ

そして、奉行所の外にも看板がありましたよ~

さあ、次回はお楽しみのランチ編ですよ~
