会津若松にて幕末に想いを馳せ | 青ちゃんのユル~いブログ(★青ブロ★)

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【会津若松弾丸ツアー その4】


時間も13時近くなり、弾丸ツアーもいよいよ後半!!

まずは、時間がない時の強い味方、周遊バスの「ハイカラさん」で移動しましたバス



やって来たのは「会津若松城」音譜

別名「鶴ヶ城」と呼ばれています虹



キレイな景色を眺めつつ、本丸を目指して歩いていると、突然の雨雨



全国的に晴れとの天気予報を信じ、傘を持ってこなかったのが大失敗あせる

おまけにコンビニもなかったので、雨中行軍になりましたダウン叫びダウン

しかし、そのくらいじゃメゲませんにひひ

「鐘撞堂(かねつきどう)」が見えてきましたが、雨で濡れている上に段差がスゴく高くDASH!
恐らく足を踏み外せば大怪我でしたが、気になったら止められない性格なのでDASH!
よせばいいのに、根性で上りました!!



この1枚の写真を撮るためににひひ



我ながらアホですねアップショック!ダウン

そして、天守閣が見えてきました音譜



さすが天下の名城、威風堂々としていますね虹

「鶴ヶ城」は蒲生氏郷が築いた後、会津若松藩の居城となりましたひらめき電球

戊辰戦争の際は、板垣退助率いる政府軍に攻められ、1月以上持ちこたえたものの流れ星
その後降伏して開城しましたあせる

今ではこんなにのどかな雰囲気ですが、実は悲しい歴史があるんですね汗



早速500円を払い、中に入りました走る人



ここはエンターテイメント性に富んでいて、火縄銃や日本刀を手に取ることができますが流れ星
火縄銃の重さにビックリしましたアップショック!ダウン



そして、最上階から見た飯森山あせる
(真ん中やや左の辺りです目)



松平容保を始めとする城兵たちは、自ら戦うのに必死で流れ星
まさか飯森山で悲劇が起こっているなど知る由もなかったことでしょうあせる

と言うより、松平容保が京都守護職を引き受けなければ、日本の歴史も随分変わったんでしょうね目

「干飯櫓」も復元されていてDASH!



往時の状況をわかりやすく展示していましたよ~合格



やっぱり「鶴ヶ城」はこの角度が一番格好いいですねクラッカー



そして千利休の息子少庵が建立した「麟閣(りんかく)」もありました音譜



千利休亡きあと、彼の茶道が途絶えるのを惜しんだ蒲生氏郷は、少庵を匿いつつ、豊臣秀吉に「千家」を願い出ました虹

その結果、少庵は京都へ帰り、武者小路千家・表千家・裏千家が興され、現在に至っていますひらめき電球

蒲生氏郷がいなかったら、今頃茶道はどうなってたんでしょうね目

そして、ここにも地震の傷跡が痛々しい姿で残っていましたあせる



次に訪れたのは「会津武家屋敷」音譜



武家屋敷は残念ながら戊辰戦争で消失したので、家老西郷頼母邸を復元したものなんです虹



当時の面影を忍ぶようにDASH!



人形を使って、展示していましたひらめき電球



そして、ここには佐々木只三郎の墓もありました音譜



この名前を聞いて、ピンと来る人はかなりの歴史好きな方ですね~虹

実は佐々木只三郎とは、あの坂本竜馬を斬った男ひらめき電球

実直な会津藩士だった彼だけが責められるべき問題ではないですが、竜馬には生き続けてほしかったですあせる

そして、オリジナルのぬいぐるみ「べこ太」もありました音譜



とってもキュートでしょにひひ

その後に訪れたのは「近藤勇の墓」音譜



近藤勇の墓は他の場所にもありますが、ここは土方歳三が近藤勇の死を知って建立したとのことです汗

1墓の中には何もない
2髻(もとどり)だけが入っている
3京都でさらされていた首が埋められている

との諸説ありますが、真相は謎に包まれていますあせる



時間もあまりないので、早足で歩きましたが~走る人



行けども行けども辿り着かず、遂に藪道に入り~DASH!



漸くたどり着きました音譜



この墓を眺めていると、流山で新政府軍に出頭するという流れ星
近藤勇の行動を止めることができなかった土方歳三の悔いの言葉が聞こえてくるようでした汗

会津若松に来てみると、しみじみと幕末の歴史に想いを馳せることができましたよ~目

そして、次回はいよいよ悲劇の舞台へと移動しますパー