【がんばろう東北編 その6】
『三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり』
「平泉」は、日本史の舞台として超有名ですね
初代藤原清衡が戦乱の後
『罪なく犠牲になった霊が安らかな浄土に導かれますように』
との願いから「中尊寺」を始め、仏教文化を築き上げたんですね
しかし、そんな願いもむなしく、源頼朝の野望のために、奥州藤原氏、源義経、武蔵坊弁慶らに次々と悲劇が訪れた場所でもありますね
松尾芭蕉がこの地を訪れ泪した風景も、今の世にしっかり受け継がれていましたよ~
仙台で「牛タン」を堪能した翌日、天気予報通りに雨が降り、予想通りボランティアは中止になった為、F氏とともに朝8時1分発のJR東北本線の電車で出発し、9時54分に平泉に到着しました~
皆さんご存知でしょうが、平泉は世界遺産に登録され、以前にも増して注目されているんですよね~
早速時間がないので、タクシーで「中尊寺」に向かい、5分も経たずに到着しました
世界遺産効果なのか、雨降りにも関わらず、想像以上に観光客が多く、厳粛な雰囲気の杉並木を通り抜けると~
「弁慶堂」が見えてきました~
そして、その中には悲劇のヒーロー、義経と武蔵坊弁慶の姿が
源頼朝に追われ、父とも慕う三代目藤原秀衡を頼りに幼少時代を過ごした想い出の地に逃げてきた義経
その義経を自分の命と引き替えに守ろうとする武蔵坊弁慶
秀衡の死後、源頼朝に騙されているとも知らずに、その義経に刃を向け、衣川館で自刃させた四代目藤原泰衡
そして戦上手の義経亡き後、予定通りに奥州藤原家を滅ぼした源頼朝
こうやって書いていくと、元々好きではなかった源頼朝に対し、怒りがフツフツと沸いてきました~
嫌がる静御前を無理矢理「鶴岡八幡宮」で舞わせたり、やりたい放題ですね~
因みに「判官びいき」という言葉は、義経を同情する気持ちから生まれたものですよね
雨の中、様々な想いが交錯するなか「本堂」が見えてきましたが
流石に古式ゆかしき「中尊寺」の本堂だけあって、見事な造りでした
3千点を越える国宝・重要文化財を収蔵した「讃衡蔵」も見事でした
それにしても、続々と観光バスが到着し、大勢の観光客がやって来るのにはビックリしました~
そして、いよいよハイライトの「金色堂」に辿り着きました
写メ禁止なのでお見せできないのが残念ですが、「金色堂」はこの建物の中のガラスケースに入っていました
『五月雨の 降り残してや 光り堂』
と、松尾芭蕉が詠んだ「金色堂」は、1124年の造立でこの地に現存する唯一の遺構なんですが、堂全体を金箔で覆い、皆金色の極楽浄土を現世に表し、平安仏教の最高峰をなしていました~
中央の須弥壇の内に初代清衡、左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡のミイラ化した遺体、四代泰衡の首級が納められているそうです
それにしても、四代目の時に滅んだのに、何で「藤原三代」というのか不思議ですが、義経を自刃させたからなのでしょうか~
そして、ふと気付くと俳聖「松尾芭蕉」の像がありました
あなたは様々な句を詠まれましたが、憧れてやまなかった平泉は、あなたの眼に、どんな風に見えたのでしょうか
「金色堂」のそばに建つ「経堂」も渋くていい感じでしたが~
そろそろ電車の時間が迫ってきたので、「毛越寺」などの他の名所は残念ながら断念しました
その後、12時27分発の電車で一関へ、新幹線で仙台に向かいましたが、お楽しみの駅弁は「三陸 海の子」
三陸の海で獲れた海の幸がいっぱいで、美味しかったよ~
そして食後に食べたのは「平泉揚げだんご」
「みそ味」と「しょうゆ味」がありましたが、これは「みそ味」で、『美味し』でしたよ~
東北の味を堪能しながら、最後の目的地へ急いで向かいました
次回は、いよいよ「頑張ろう東北編」最終回です