これは、記憶にある事と祖母から聞いた事です。
私は、小学生になる前、父から暴力を受けていました。
毎日の様に家庭は荒れていました。
ある日、児童相談所の方とお話し合いする事になり
これは父から聞いた話です。
このままお家にいるのか、それとも施設での生活へ移動するのか何も考えられない何も分からない、私にそう聞き出すと、私は迷わず施設に行く。
そう児童相談所の方と両親の前で言ったそうです。
そこから私の人生が変わって行きました。
まだ小学1年生の時の声でこんなにも大きく変わるのか?と思うほど家族とは壁が出来、縮まる事もなく離れていく一方でした。
小学生終わったら迎えにくるねって話になったのですが、そんな話がなかったかの様に時は過ぎました。
中学卒業する時期に、私は一気に病み期に走り暴走する日々に追われました。
誰の話も聞きたくない、何もしたくない。
今いる場所から居なくなりたいとその当時、施設の職員に言うと、『 一旦居場所変えてみる?』と言われて、私はそうする事にしました。
それから中学卒業の時期は一時保護所という場所へ移動して数ヶ月過ごしました。
そこは、人それぞれが色々な思いを抱えて、どうしても行く場所がなくている場所でした。
天国か?と思える程、職員さんや利用者さん優しくてお勉強する時間もあればお遊びする時間もある。
私は、一時保護所という施設への居心地が良くて毎日それなりにありながらも快適に過ごしていました。
そんなある日、そろそろ次の事を考えようか?って話になり一気に全てが現実に戻されました。
そして、一旦元の施設に戻される事になり、帰って数日で暴れたり泣いたり病んだりする日々が続きました。
私は、施設の職員さんに『ここから出たい 』『頑張る気はない 』と只管、我儘を言いました。
それから数日後には、別の一時保護所に行く事が決まりました。次の施設を決めるまでというお約束で一時保護所で生活をする事になりました。
それから高校生になる春、次の施設が決まり、卒業式は一時保護所で特別にやる事になりました。
そして、高校も無事決まり、新たな生活へスタートしました。
そして施設のイベントで、両親が来ました。
母親の方とはそれなりの会話出来ましたが、父親とは顔を合わせる事すら出来ませんでした。
また、家族についてはまた後ほど書かせて頂きます。
それが、両親と会うという事は終わりを迎えました。
それから高校生活、施設での生活は無事安定して高校卒業する手前、大人が入る施設に移動する事になりました。
施設というより、グループホームです。
そこで高校生最後まで通う事が出来て卒業する事も出来ました。

まずは、ここまでのお話とさせて頂きます。
私は知的障害という障害を小学生の時には持っていたそうです。
高校は養護学校、施設は障害施設です。
グループホームも、障害者施設です。
ここまでは、私の意見は一時保護所行きたい
それだけ大人にぶつけたぐらいです。
後の事は全て大人が決めて、私は言われるがまま動いてたということになります。
 
また、これから自分の気持ちなど、正直にここに綴りたいと思います。