自分の泣き声を聞いて、

こんな声で泣くんだと思った。

 

自分が泣いている実感があまり無くて、

これって本当に泣いてる?

大袈裟に泣いてる感出してるだけじゃない?

と疑った。

 

これ見よがしにやってるんじゃないか、

可哀想ぶりたくてやってるんじゃないかって。

 

誰も見てもいない家の中で、車の中で、

職場のトイレの個室の中で、

家では声を枯らして、

職場では声を殺して、

喉と頭ががんがんに痛くなるまで泣いてる自分の声を聞いて、

 

なお、そう疑った。

今も正直、疑っている。

 

本当はそんな辛くないだろ。

悲劇を装ってみてるだけだろ。

そう頭では考えていて。

 

そうやってあまり気に留めず流していたら、

泣く頻度がどんどん増えて、

 

4月に異動した職場で、

慣れない環境でゴールデンウィーク挟んだから、

五月病になったんだって思った。

 

思い返せば4月にも何度か泣いてて、

5月はもっと泣いてて、

6月になって連日泣くようになった。

 

最初は仕事から帰って夜泣いてて、

翌日出社する恐怖から日曜日の夜も泣いて、

朝メイクしながら泣くようになって(アイメイクめちゃくちゃ大変)、

泣きながら運転して出社して、

今は朝夕問わず仕事中頻繁に泣くようになった。

 

幸い常にマスクしてるし、みんな忙しいし、

声さえ出さなきゃ泣いててもバレない。

書類が濡れないようにだけ気をつけてPC打ってる。

 

急におかしいなって感じた。

なんでこんなに泣いてんだろう?

 

今年もう34歳になるけど、これまでの人生で、

こんなに泣くことなかった。

感動もの観て泣くことは全然あるけど、

つらさとか悲しさで泣くとか、

まして職場で泣くとか有り得なかった。

 

泣きそうになったことすら無いのに。

 

じゃあこれって何?

 

誰かに気づかれたくて、

可哀想にって言って欲しくて、

 

そんなノリで人間って急にこんな泣けるもん??

 

気づいて欲しいのは、

 自分に では ?

 

仕事しながら、一日に何回も泣いて、

何かきっかけがあるわけでもなく発作のように泣く。

 

だけどよくよく、よーーーく思い返したら、

私が泣く瞬間って、

泣いてる自分の声を思い出してる。

 

自分の泣き声がふっと脳に甦って、

その瞬間に泣き始めてる。

聞こえるのは、絞るような、つらそうな、

なんだか分からないけど必死な泣き声で、

自分じゃない、『悲痛な誰か』みたいな声で、

 

ああ、流そうとしてる。

信じてなかった。

助けてやろうとせず、やり過ごそうとしてる。

ホルモンバランス?更年期かな?

生理前で不安定なのかな?って。

 

こんなに必死に泣いてるやつを前にして。

 

でも、ある程度泣くと一旦フラットに戻るから、

その状態の頭だとどうしてもそう捉えてしまう。

 

本当は大したことじゃない。

自分は元気。体重も減ってないし。

吐き気もないし。頭痛は泣きすぎただけで症状じゃないし。

 

多分今ナーバスなだけで、数日したら回復すると。

 

それを4月から続けてきた。

2、3日、回復したかなと思うとドンと落ちる。

5月は片付かない仕事の不安で頭バカになって泣いてたけど、

原因がはっきりしてた。

 

今はもう具体的な理由が分からない。

わっと全部が嫌になってしんどくなる。

 

ああ、無視したからかな。

 

最初に泣きはじめたときに、無視したから。

 

だからどんどん泣くようになった。

 

無視しないで。無視しないで。

 

ある日突然、職場のトイレで泣いてて、

泣いてる自分がつらいということに気づいた。

 

つらそうじゃねえよ、つらいんだよ。

しんどいんだよ。

身体もあちこち痛くて、自分がぎゅうっと小さくなった気がした。

 

実際個室の中で便器の隣にしゃがんでたから

物理的にもぎゅっとコンパクトだったんだけど、

床にぼとぼと落ちてる涙を見て、

初めて他人事じゃないって思った。

 

今、しんどい。

今、逃げたい。

こんなところに居たくない。

家に帰して。

全部嫌だ。

嫌だ。嫌だ。

 

ずっと距離があると感じてた、

現実味の無かったそれらが、

ぎゅうっと自分の中にあった。

全部、自分の中に見つかった。

 

つらいんだよ。信じてよ。

そう言われた気がして、

ようやくそれをキャッチできた気がして。

 

でもそれで、じゃあ解決ねってことには全然ならなくて、

結局その後も度々デスクとトイレで泣いて、定時過ぎまで仕事した。

 

それでもやっぱり今、

この頭は泣いてる自分を疑いにかかっていて、

他人の気を引きたくてやってるのか、

自分が仕事できないのをそれで許してもらおう、

なあなあにしてもらおうと思ってるのか、

と言ってくる。

 

こうやって私の頭は、いつも冷静になった途端に手の平を返す。

 

泣いている瞬間だけ、私は泣きじゃくる自分と一体で、

しんどい反面、寄り添ってもいて、

自分の感情をただ全身で感じている。

 

一方で頭の声も、

一時の感情に振り回されているような自分に、

別の主張をしてくる。

 

できないやつが、悲劇のヒロインぶるなよ。

この声を振り切ることは難しくて、

正当性があるように感じるのはそれが私の既存の評価基準だから。

 

自分がこんなにできない人間だなんて思わなかった。

 

それが今現在の職場での、私の一番の感想。

できないやつが、できないくせに、可哀想になることで免除されようとしている。

見逃してもらおうとしている。

 

だから泣くことすら、全力でできない。

『できない自分』への評価が、全力で泣ききることを許さない。

お前ができないからだろ!無能!って。

 

泣いてる自分の味方をすると、

何も痛んでないときの自分にディスられる。

けどつらいんだもん、いつまでつらいままでいればいいの?って

痛がる自分はずっと泣いている。

それを延々繰り返している。

 

嫌なことなんて腐るほどあるけど、泣くほど痛い原因が分からない。

そうやって目から水分消費する日々を過ごしている私の、

 

 

 

 

 

目から鱗。

 

 

 

 

 

 

 

 

長過ぎる前振り、だけで記事終わるーーー。

長文過ぎるからね、仕方ないね💦

 

 

私の目が醒めるのかも知れない。

 

 

それだけを希望に、考える間もなく、

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ここで理解できるんじゃないかと思ったの。

 

 

齢34にして、

 

生まれて初めて現実逃避に立ち向かいます😆💦