ユダと言えば

 

イエスを裏切った,裏切り者の代名詞ですね。

 

でも,昔からこれには「?」がついています。

 

 

マルコによる福音書によると

 

『そしてすぐ,イエスがまだ話しておられるうちに,十二弟子のひとりのユダが進み寄ってきた。-中略-。私の接吻する人がその人だ。その人を捕まえて,間違いなく引っ張っていけ。」

マルコによる福音 第十四章43

 

で,司祭長,律法学者,長老たち等がイエスを捕まえるんです。

 

 

 

これ,裏切りになる?

 

イエスが誰かわかんないからキスして

 

『この人がイエスだ!』

 

ってみんなに教えたって言うけど

 

接吻なんかしなくても,みんなイエスの顔知ってるんじゃないの?

 

接吻なんかしなくても,捕まえられたんじゃないの?

 

もし,それでもユダが裏切り者に違いないならば

 

聖書の記述は何かのたとえを書いているのかもしれませんけどね。

 

 

 

 

イエスは自分が死んで復活する,という奇跡を起こさなくちゃいけない。

 

それは,

 

旧約聖書の預言を成就するため。

 

そして

 

『奇跡を見ないと信じない』

 

愚かな人間達に,強烈なインパクトを与えるため。

 

 

 

イエスが以前

 

ラザロという男を死者のうちから復活させて

 

おお‼️

 

と人々は驚嘆したけど

 

驚嘆して,終わり。

 

う〜ん,仕方ないなあ。

 

と,

 

自分でやるしかないわけでした。

 

 

 

つまり,

 

『ユダは実はイエスから一番信頼されていて,

 

 イエスの指示により奇跡を起こすために行動を起こした』

 

との考え方があります。

 

これは別に珍しい説ではなく,昔から広く伝わっている説です。

 

ぼくはこれが一番納得できます。

 

 

 

大体聖書に書いてあることは

 

宗教会議で

 

『あれはだめ~,これは間違ってる~

 

 これはまずい~,こんなはずない~』

 

と,聖職者(?)達に都合の悪いものを

 

偽典,外典としてホイホイ省いちゃってるんだから。

 

マグダラのマリアもそうですよね。

 

彼女もイエスからの信頼が厚かった。

 

 

 

 

 

だから,ユダが聖書にあるように

 

『わたしは罪のない人の血を売るようなことをして罪を犯しました。』

 

-中略-

 

そこで,彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き,首をつって死んだ。

 

マタイによる福音 第27章3

 

なんてことしてないと思うんですけど。

 

ひっそりと生きていたのかなあ。

 

 

 

 

 

 

そこでぼくが妄想しました。

 

イエス様の前にひざまづくユダに

 

イエス様がゆっくり語りかけます。

 

『…というわけだ。

 

  お前の名は,この後何千年もの間,汚名として人々にさげすまれる。

 

裏切り者の代名詞となるであろう。

 

ユダ,それでも私のために働いてくれないか?』

 

とイエス様に頼まれたのかもしれません。

 

 

 

ユダの心中,いかばかりであったでしょう。

 

一生汚名をきる?

 

いいえ,一生ではありません。

 

何千年も

 

下手したら地球が滅びるまで

 

 ユダ=裏切り者

 

 なのかも知れません。

 

 

それでも穏やかな顔で

 

イエスを見つめて

 

『主のみ心のままに』

 

と引き受けたユダ。

 

そして最後までイエスを信じたユダ。

 

 

 

いつか,ユダの行為が報われますように。

 

 

原典 ユダの福音書 | ロドルフ・カッセル, マービン・マイヤー, グレゴール・ウルスト, バート・D・アーマン |本 | 通販 | Amazon