先々週の受診時


「手術の手法や適切な時期(するなら○月がいいというわたしの希望があり)を来週中に電話します」


と言われ、仕事中に電話に出にくい状況がある中、マナーにしないで出やすい状態にしていたが、今朝までかかってはこなかった。


思い出した。


奇跡のコースヒーラーが、セッションで、あちらからにこにこにこにこにこにこにこにしながら「病気には二種類あって治って~、治らなくて~。ってあるんですって。きいてみましょうか?」と言ってリーディングを始め、でも変な間の後、結局何事もなかったかのように、何も言わず次の話題となった。


わたしにはこの言動がこたえた。

嬉しそうに、人の病気をスピリチュアル噂話の検証に使う?

病気が次々加わって(薬の副作用によるものとか)、あれやこれややっている中、まさにスピリチュアルジプシーの中、


「何もコメントがない」


ことへの浮かぶいろいろな思い。


(今ならクリーニング)


自分もセラピーなりを少しはかじっていたので、客観的には、ここ掘り下げるところ、気を付けるところ(そもそもわたしが習ったヒーリングでは、病気が治る治らないは基本的にはリーディングの禁忌事項とされていたが)ということは知っていたはずなので、自分でそこをやってくれ、と言うべきところ、あるいはこの奇跡のコースヒーラーではダメだと見切りをつけて他のセラピストにすぐそこのセッションをやってもらう、という選択肢を自分に与えるとかすればよかったが、心はパニックでそれがその時にはできなかった。

奇跡のコースを学ばなければというアホな考えに執着していたことが大きな原因のひとつだ。


すべての流れの止まるセッションだった。


その後もリーディングしたことに関しては疑問は受け付けない。

あれが苦しみのスタートだった。



今、正直なところ


病院をかえたいという気持ちがある。


わたしの話を最後まで聞かない医師で、勝手にわたしの話を勘違いして(膠原病の影響なのか、帯状疱疹の後遺症の可能性の話をしようとしたら、話の途中で、今、帯状疱疹かどうか気にしているのと思い込みそれは帯状疱疹とわかったらと話をそれ以上させなかった)


ここもヒーラーと同じだ。


ヒーラーも人の話を思い込みで聞いて、勝手に判断して、それの上にたって話を流したり、リーディングしていた。

(病種や症状を勝手に自分が知っているのでリーディングをしていた感がある。膠原病の痛みで苦しんでいる、というのを、メールの「苦しい」という言葉だけで、呼吸が苦しいと決めつけていたと思われる。だから、起きてもいない症状のメッセージがやってきた。それを大枠の比喩とみて

、奇跡のコースを学んだことが苦しみを生んだという意味なら的中?セッションでもホーリースピリットはわたしのこと何も知らない?と思うことが何度もあった。そう思わされるセッションだった。)

アイスブルー。


クリーニングできていないことは、クリーニングする機会がやってくるのを再認識。


ただ、身体の命に関わることであり


クリーニングし損ねたら、体調悪く「死」との線を歩くようなことになるかもしれない、ヒーラーとの出会い以降の10年近くの痛み苦しみを続けることになるかもしれない、という思いも浮かんでくる。


アイスブルー。


死にたいという感覚とは別のやはり死んだ方がましかも、という考えが出てくる。


ただ、希死念慮とは異なり、自傷衝動が伴ったり、心が苦しくなるわけではなく、頭の中でその考えが巡る、という感じだ。


アイスブルー。


トリガーだけするのはヒーリングセッションとは言わないと思うが、セッションの定義があの人たちは自分達がホーリースピリットとつながった、という実感さえあれば、目の前の相手がどのようであるかなど(1度目も2度目もそうだった)、分離していても気にならないのかもしれない。

クライアントを使って、ホーリースピリットとつながる機会・好奇心のある質問を聞く楽しみを得て、収入も得られる、有意義な一時なのかな。


アイスブルー。



病院をかえるのか、(そうなると隣の隣の市になり県外になる)


手術をしない


このままそこで手術をする


今はこの3択だが、クリーニングを愚直にするだけだ。




アイスブルー。