先日、アメブロさんから「今すぐ、お金が必要な方へ」という、カードローンのメールが来た。

全員にもれなく届くものなのか、ハッシュタグで"無職"と付いて、お金に困っていそうな人向けにターゲットを絞ったメールなのかはわからないけれど、無職でお金を返すアテもないのに、さらに借金なんて怖くて出来ないよと思ってしまった。


ところで、私は学生の時に「心理」という講義を取っており、最初の講義の時に"脳の三層構造"について教わった。

今から30年以上も前のことだから、今は別の説になっているのかも知れないが、当時の内容は、


・人の脳は三層構造

・最初に爬虫類の脳(生存を司る)が出来た。

・次に、爬虫類の脳を征服する(覆い被さる)形で、哺乳類の脳(好き・嫌いの感情を司る)が出来た。

・最後に、その哺乳類の脳を征服する(覆い被さる)形で、新哺乳類の脳(理性や論理的な思考を司る人間脳)が出来た。


と、いうものである。


その時にふと思った。

脳の成り立ちから見たら、人間は「性悪説」が当てはまるのではないかと。


「性善説」と「性悪説」は、「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする説と「悪の性質をもつ」とする説で、古代中国の儒家の『孟子』と『荀子』の説に由来する。


「性善説」は、「人の性は善であっても放っておけば悪を行うようになってしまうため、"聖人の教え"や"礼"などによる教育が必要」と説いたものだ。


一方の「性悪説」は、「自然そのままの人の本性は"悪"であり、教育によって人を矯正・感化する必要がある」と説いた。


「性悪説」の"悪"を「爬虫類の脳」、つまり生命を司る"本能"と捉えるなら、自分の生存を脅かされるような時には、"自分の生命を守る行動をとる"ということだ。

空腹に耐えている時に、食べ物を買うお金がなかったら、盗む・奪うという行動は、「爬虫類の脳」が優位になったとも言えるだろう。


"本能"は、善悪で測るものではない。

ただ、集団の中に"本能"のままの人間がいれば、そのコミュニティは強奪や争いが絶えず、いずれは破滅してしまうだろう。


だからこそ、コミュニティとそこに所属する人間を守るために、ルールや法律が出来、それを遵守することで、自分も他者も守っているのだと思う。


さて、私は今のところは「新哺乳類の脳」を動かし、「理性的」な人間の生活を送っている。

けれども今後、生命を脅かすような飢えに襲われ、食料を手にするには強奪しか手段がなくなるような緊急事態になった時、それでも「新哺乳類の脳」を維持して、「理性的」な行動を取ることが出来るだろうか。


大規模な震災後のように、周りも苦しい、みんなも耐えているという状況ではなく、自分ひとりだけ苦しい、なのに周りは幸せそうだ、となった時、「自分だけ」という疎外感が、他者への暴力に変わったりしないだろうか。


自分は、そういう「狂気(本能)」を内面に持っているのだという自覚が、抑止力になってくれることを祈るしかない。


☆今日の就職活動

・結果

 専門の業界を取り扱うサイト→不採用

 マイナビバイトから応募した短期バイト→不採用