明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

こちらは別に設けている弦楽器工房のブログと違い、全く個人の楽しみの領域で書かせて頂いているブログです。多くは趣味人の見解、思い込みに過ぎない内容ですが、ご興味ございましたら今後ともご笑覧下さい。
初詣といえば、すでに元日の午後に仙台愛宕神社へ参拝しているのですが、ここでは夜の風景が印象的だった仙台総鎮守・大崎八幡宮の方を載せることに致します。
(上のインスタグラムの記事は、矢印ボタンを押すと次の写真に変わります。)
春の初めのように麗らかだった元日とは打って変わり、2日の夜はおのずと腹筋が鍛えられるくらいの寒気に見舞われました。初仕事を終えて、八幡町に着くとすでに18時前。参拝客はまばらで、神社本来の杜の静けさが戻った頃合いに本殿まで歩を進めました。

私が日頃から神社に立ち寄るのが好きなのは、三つの単純な理由によります。
一つは、日頃、衣食住にこと足りて無事生かせてもらっている幸運に感謝するため。私も若い時分はやった事ですが、自身が処すべき問題について自分の頭で考えず、あゝなりますように、こうなりますようにと頼みごとをするのは、参拝の作法云々に関わりなく人の道に外れたことでしょう。社会問題、自分自身の苦難の多くは、我々の世界の側で作り出したものであり、そこは各人知恵を絞って難局を切り抜ける努力をしないといけない。まして個人の商売、家庭、健康、恋愛における利益を求めるなどは、神社の存在意義から言っても慎んだ方がいいと思っています。
二つは、他人が病気などで困っている時に、その快復を望むため。人の身体のことは直接的に此方の力ではどうにもできない。そうして気持ちがザワザワとして落ち着かない時に寺社仏閣を訪ねることがあります。

三つ目は、景観が佳いこと。朱色の美しい建築、木々、川、遠景・・御神体や縁起について知識がなくても、神社には純粋に人の眼を潤すものが沢山あります。樹齢何百年の老木が聳えていたり、四季の訪れをいち早く感じさせたり、漫然と風物を見て歩くだけで偉大な自然界の気に包まれてゆく。俗世の雑念が取り祓われ、心が清らかになってゆくのを覚えます。

大崎八幡宮は寄進者が多く、写真の通り、年中行事のたびに参道に華やかなご神灯が飾られます。朝、昼の風景も素晴らしいところですが、春の夢の中にいるような夜の境内も、一度見ると容易に記憶から消すことのできない風情があります。