オーパス蔵の復刻によるヴァイオリンのCDは、音がキリキリと鋭くて聴きづらいものも中にはありますが、このシゲティの協奏曲集は演奏の特質を捉えた素晴らしい出来映えです。楽団の音もニュアンス豊かで、普通の水準の芸術鑑賞が可能な音質だと思います。
〇メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
(ビーチャム指揮/ロンドン・フィル 1933年録音)
〇ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
(ハミルトン・ハーティ指揮/ハレ管弦楽団 1928年録音)


シゲティの芸術に顕著なのは、解釈の説得力と、音楽の核心から気を逸らさない集中力。そして後味のよいテクニック、音程の美しさでしょうか。後の二つは晩年にはやや後退したにせよ、それでもかつて持っていた高度な技術の痕跡は十分に感じ取ることができたものです。
このCDはまだ若い時期の記録なので、どちらの曲も安易な批評を寄せ付けない超然とした完成度を誇っています。音色までが研ぎ澄まされ、古い名刀のような渋い光沢を放つ。とりわけ私がよく聴くのはメンデルスゾーンの方で、曲が要求する、あるいはそれ以上のロマン的情感を滲ませた弾きぶり、構成を熟知したテンポ設定と表現力にただ感服させられるのみです。
ブラームスの演奏も高水準の素晴らしいものですが、個人的には伴奏の楽団にもう一歩雄大な気宇が欲しいところ(その時代の録音の条件に合わせた楽器編成なのかも知れない)。メンデルスゾーンの指揮はトーマス・ビーチャム。ソリストにとっては個性的で合わせづらい指揮だったという話も聞きますが、シゲティとの共演では特別目立った不協和は感じられない。ソリストを立てつつも、単なる伴奏にとどまらない巨匠風の音楽づくりをしていて印象に深いものがあります。

この演奏を聴くと分かる通り、即物的と言われたシゲティや、あるいは「楽譜に忠実」を旨としたトスカニーニでさえ、非常に強い、頑固なまでの主観によって音楽を生成しています。当節は芸術にとっての源泉、生命であるところのロマンティシズムまでを、何か個人の思い込みのように解して排斥する傾向が強くなっている。楽器製作、演奏、絵画、書、文芸・・もうあらゆる方面で創造の土壌が窮屈になっているのが分かる。実際にはもっと伸び伸びと、己の心に正直になって楽器を弾きたい人も沢山いることでしょう。
個人個人がよほど時流に流されない意固地な心を持たなくては、この先、人間らしいみずみずしい感性は潰されて行く。時流などと言うのは、決して気象のような自然現象ではなく権威ある勢力が作り出しているものなのだから、「今年流行の服の色」くらいに思っていた方がいい。シゲティのヴァイオリンを聴くと分かりますが、音楽にみる偉大な信念は、大元を辿れば個人それぞれの思い込みの所産だとも言える。科学的な眼でつぶさに測定し始めたら、それこそ歴史に名をとどめる弦の巨匠達の芸術も、ただ不規則で不安定な音符の連続にしか見えなくなります。