録音史上で、この曲を最も完全に自己の内なる声に化したヴァイオリニストはジャック・ティボーでしょう。1936年、パリで吹き込まれた古いSP録音ですが、現代人の感覚で聴いてもティボーのヴァイオリン芸の非凡さは如実に伝わって来ることと思います。

この「シャコンヌ」は比較的演奏効果が上がりやすい作風であるのに、何故か他に名演と言える録音に当たらないのが不思議です。ナタン・ミルシテインなどは全く軽業師的で、私には指と腕の器用さに任せて遊んでいるように聞こえる。上品で真摯なティボーの至芸に心を洗われた後にはなお音楽が安く感じられます。

自分の求める音楽を具現するための技術をテクニックと呼ぶならば、ティボーは紛れもなく希代のテクニシャンと言っていい。繊細な情のこもった音色、妙なる音程感覚、フレージングの滑らかさ、要所要所での男性的な高揚感。これらに物語性のある一本の筋を与える事にかけて、ティボーは明らかにクライスラーに比肩する名手です。そして曲によってはクライスラーの解釈を越える。
ただし、クライスラーの場合以上にティボーを味わうには音楽上の洒落が通じないといけない。受け手のユーモアや想像力、感性が貧しくては表情付けの意味が分かりにくい部分があって、聴きようによっては不安定なヴァイオリン芸にも感じられる。しかし、それは正当な受け取り方ではない。二度、三度と聴くにしたがって、実にセンスの良い、香り豊かな詩を語って聴かせる紳士が眼前に立ち現れるでしょう。

ヴィターリをはじめ、ティボーの電気録音の復刻はメーカーによって性格の差が大きく、演奏の質までを変えてしまうところがある。その中で最もヴァイオリンの音を太く生々しく拾っているのは、上の写真のAPRという英国レーベルのCDです。音の柔らかさを取るならEMI盤かと思いますが、やや像が甘くて遠い恨みがある。ここは一長一短というところで、二種を聴き分けながらその中間にティボーの真実を見出だすしかないでしょう。

同じ盤の二種の復刻です⬇️