ホロヴィッツの偉大さを最初に印象付けられたのは、ちょうど20年前、RCA音源のショパンを集成したこのCDを聴いた時でした。ショパンは嫌いではないのに、今もって無闇にソリストを替えて聴き漁る気にならないのは、この録音の体験が元にあったせいだろうと思っています。コルトー、リパッティ、ルービンシュタインと並んで、あるいはそれ以上に、ショパンの音楽を想う時に先ず脳裡に浮かぶのは、ホロヴィッツのあの究極にまで研ぎ澄まされたリリシズムです(メカニズムではなく)。

過去に彼ほど、ショパンをスリリングな音楽として扱ったピアニストはなかったでしょう。あれはホロヴィッツを聴かされているだけでショパンの音楽ではない、精神性がないといった批判が昔からありましたが、錬磨された両手の動きから、私にはショパンの生身の感情の発露と熱い体温がはっきりと感じられました。もう再現能力という次元のものではない。普通、あれだけ完全に指の動きを制御しようとすると、音楽は機械的で冷めたものになりやすい。いや、はなから人間味豊かに弾こうとしてもタッチが機械じみる人もいるのに、ホロヴィッツの冴えた技巧は、技の精度に比例していよいよ曲のロマン的な情感を濃くします。音楽に対する直感力、つまり根の音楽性の違いなのでしょう。


ケンプのベートーヴェンやメニューインのバッハが好きな私が、技巧の限りを尽くしたようなホロヴィッツのショパンに惹かれるのは、紛れもなくそこに純粋な歌心と真摯さを感じ取るからだと思います。ただのサーカスみたいなピアノの曲芸師なら、大人は聴いている傍から飽きてしまいます。

平素、特にむずかしい顔をして芸術鑑賞をしているつもりはありません。作品に少々知性が不足していても学問の常識からずれていても、こちらにそうした素養が無いから一向気にはなりませんが、作者奏者の、人としての本質的要素にだけは関心が向きます。気力、骨力、情緒など・・。知性派の真面目一辺倒の音楽が悪いわけではありませんが、情緒が幾らか知性(頭)に勝っているくらいの方が、演奏としては上等な気がします。


『ショパン名演集』

ウラディミール・ホロヴィッツ(ピアノ)

録音:1945-57年 モノラル(CD)

発売:1997年 BMGジャパン


〇スケルツォ第3番 嬰ハ短調 作品30(1957年録音)⬇️