こんにちわ
恐怖とは自分が作っているのか
そのことを強く感じた
過去の私の大きな塊
解けてない
解けてない
父との関係が解決してないまま
亡くなり
地底深く存在していた
怖いという感覚が
いつもいた
いつも人の影に隠れ
目立たないように
体型が目立っていたが
悲しいことを思い出した
私小学1,2年のころ
人前で行動することが出来ない
しゃべる、食べる、トイレに行く
自然の欲求すら表現を恐れた
手をパタパタして廊下を小走りに歩いたり
体操着に着替えれれないことも
給食の割烹着もダメで
トイレがいけないので
我慢してたまに漏らしたり
1日我慢できたら学校の帰り道に林があって
そこの一番うっそうとしているところで
したりしてた
今なら発達障害と診断されるな
不登校も出来なっかった
あのころは学校に行かないなんて
世の中的に概念もなかったけど
行きたくないけど
両親は自営で家にいること
それが家にも安心できるスペースで無いことだったかも
さてさて大学時代のころは過食と課題日々
短大は2年で終了ですが
編入するつもりでがんばった
何をがんばったのか?
根性でね
デザイン科ですからセンスの問題なのにね
彫金ってジュエリー制作がメインでしょ
まったく私らしくない
自分を着飾ることが出来ないんだもん
醜い自分をどうきれいにするの?
綺麗が苦手なのは
こんな記憶があった
ポーラの人が小さい頃
毎月一回来てた
母がゆったりして気持ちよさそうにしてる姿が嫌だった
化粧品の匂いも臭かった
母の口からは
外ばっかり気にしないで勉強ができるのが1番ですと
私十分言ってる通りだし
可愛く着飾ることはダメなんだ
母は喜ばないんだ
言い聞かせたな。自分に
綺麗にすることの恐怖
化粧なんてするもんで無い
そうです
センスの問題ではないな
私は編入試験に落ちました
その代わりに大学で用意してます
編入落ちた人のための専攻科というのがあり
1年だけ在籍できるシステム
専攻科は優秀だぞ
との周りの言葉で納得しました
でも4年制への
執着はありました
専攻科ということで
何かのねじが外れた
もう根性で頑張っても
卒業しかないね
あのころから数年は
楽しかったね
課題もマイペースでこなし
好評でもよい言葉をもらい
卒業制作は優秀賞をもらった
金工室にずっといることはなく
昼から来たり
美術科の友達と遊んだり
好き勝手に行動した
楽しい日々でした
過食は夜だけで
日中は食べないか
もしくは大好きなアイスだけ食べてた
身体おかしくなるよね
でも若いので
動き回っていた
明日やめようとの思いと
大好きなアイスだけ生活もいいな
楽だけど苦しい
おかしいな自分は
摂食障害の本を少しは読んだけど
自分に当てはまらないので
ピンと来なかった
母親がぴったり付きまとっている例ばかりで
うちは放任に近いしなと思った
自分だけ本を読んで取り残去れた感覚
みんな大事にされてる
ほっとかされて楽だけど愛されてないの
多分、放任だけど恐怖で支配されてるよ
親を喜ばすことは
自分が自分らしくないこと
無意識に親は子供に対し言ってることでも
それは親の基準だし
私も息子3人の親になり
小さい頃の自分と同じようにしてた
きずいてないと
過去の経験でしか行動できないのよ
子育て中は
最悪の状態だったけどね
そうそう専攻科時代,
石彫場にいたり穴穂って粘土焼く
野焼きに参加したり土が元気をくれた
植物は土から栄養を取る
土が元気だと生き物は全部元気
土を隠した暮らしは便利だけど地球のうめきを感じる
エネルギーの値和20代より今のほうが高いだろうな
食べ方が断然違うし
食にとらわれすぎて知識だけはインプットされたわ
エステは行っていたかったね
今もね。
骨盤は出産、や普段の姿勢のくせで歪んくる
骨盤を調整して正しい板に戻すと
痩せるというかリンパやら身体の流れがスムーズでいいよ