最近、聴き始めたteleさんのロックスターという曲がとても好きなので、
MVも含めて自分勝手な解釈で、ここめっちゃいいみたいなことを書いていこうと思います。
イントロからもうすでに好きです。そしてMVでは、喫茶店でコーヒーをたしなむチャップリンのような服装に身を包む
teleさんがでてきます。 MVの公開時期にツイッターにチャップリンの動画のリンクを載せていたことからも
チャップリンを意識されているみたいですね。
カラーではなくモノクロであるとからも、一昔前のヨーロッパみたいなイメージでしょうか。
喫茶店をでると劇場?の控室に入っていきます。
ここの歌詞で商売とショウタイムで韻を踏んでる?のが個人的好きポイントです。
ブラウン管と有機ELはどちらもテレビに使われている技術ですね。
「ブラウン管に毒づいてる横で有機ELがショウタイム。」
古いものは貶され新しいものが光を浴びているということでしょうか。
MVは古さを出されているので、少し不穏な雰囲気を感じてしまいます。
控室でメイクをしているteleさん。一瞬、胸についている像のワッペン?を確認します。
ボロボロなのでかなり長いこと劇場でショウをしているみたいです。
そして淡々と踊るteleさん。あまり楽しそうではありませんね。
「だらだらだら、鳴りやまぬダウンビート。」
ダウンビートとは何ぞやと思い調べると、どうやら小節の最初の一拍のことを指すようです。
始めた舞台俳優をそのままだらだらと惰性で続けているという感じですかね。
そう考えると淡々と踊る姿にも納得がいきます。
「音もなく消えた向かいの喫茶店、金なきゃしょうがないか。」
冒頭でコーヒーを飲んでいた喫茶店がいきなり閉店してしまいます。「金がなくなって」とか
「金がつきて」ではなく「金なきゃ」と表現するあたりがしょうがないか感がより強くなっているなとおもいました。
「きらきらきら、むなしくまた終わる。」
世界は美しいとかキラキラと言っているのに虚しく終わる。観客としてみていたときはキラキラと美しく輝いてみえたショウが
舞台に立って踊ってみると虚しく感じてしまう。
そしてまたもや控室でメイクをしていると、座長からセンターに抜擢されます。
しかし、それでも喜ぶことなく淡々と踊っていますね。あと、客席をみると地味にお客さんの数が減っています。
少し出てくる回想ではショウに夢中になってみるteleさん。ここではさらにお客さんがいるように見えるので、
昔より人気がなくなっているみたいです。
「あぁ、ロックスター。君が嘘をつき続ければ、大体退屈な彼女は息を続けるだろう。」
たとえ虚しいと感じても嘘をついてフィクションを演じても、キラキラ輝いているように見せれば誰かの生きがいになる。
「あぁ、ロックスター。誰かやつに教えてやれよ。とっくにお前はさ誰かにとって奇跡なんだって。」
おそらく、舞台に立っても何も感じられなくなってしまったけど、ショウをみて夢中になっていた自分がいたように
誰かにとって奇跡になっているんだから、虚しくなる必要なんてないんだよと思っている気がします。
少し泣いているようにも見えるメイクになってきました。よりフィクションである雰囲気がしてきました。
もらえるお金が多くなっても、前よりもエネルギーがないみたいです。そしてバーで飲んだくれています。
「だらだらだら、追いかけるダウンビート。きらきらきら、今年ももう終われ。」
ショウをみて憧れていたころの気持ちを求めているようにも思えます。今年ももう終わるではなく、もう終われに
変わっていことからも、どんどんフィクションを続けることに限界を感じているのでしょうか。
酔っぱらった厄介な客に絡まれて、ひと踊り披露しています。ここ地味にピアノを弾いているのが
閉店した喫茶店の前で施しを受けていたホームレスですね。
踊りながらも酒をグイっと口に放ると周りの人たちの顔がピンク色の像に変化します。
こちらもツイッターにて、ピンクの像に関する動画のリンクを投稿されていました。
ピンクの像はディズニー映画のダンボにでてくるワンシーンで、ダンボが間違えて酒を飲んでしまい、
ピンク色の像が不気味に行進する幻覚を見ます。薬をきめておかしくなることを英語で
Seeing pink elephant と言うこともあるようです。
周りがピンク色の象になったことに動揺し最後にはノックアウトしてしましまいます。
フィクションを続けることについに限界がきてしまったのではないでしょうか。
「スクランブル、歓声が響く。もう終わる。馬鹿みたいに幸福で。」
スクランブルの意味を調べると映像信号や音声信号をエンコーダと呼ばれる特殊な装置で電気的に攪拌することとありました。
ここでブラウン管や有機ELにもつながってくるのか!と一人で興奮しました笑
ショウの終盤で歓声が響くことに対する幸福なのか、それとも虚しくフィクションを続けることを終わらせることに対する
幸福なのか。ぐちゃぐちゃになっているのでしょうか。
バーを出た足で舞台へと向かっていきます。
「あぁ、ロックスター。いつまでも嘘のまま唄って。結局さ君だけが僕に愛を突き付けていたんだ。」
その前には「大それたことは言えないよ、だけどできれば愛が欲しいさ。」と歌っています。
気付かなかったけど、虚しくもフィクションを続ける君だけが僕に愛をくれていた。だから、ずっとフィクションを
続けてくれと願っているのでしょうか。
「とっくにお前はさ、僕にとっての奇跡だったって。」
誰かにとってから僕にとってに変わっていますね。役者になったばかりのことを思い出しながら、
ここで初めて笑顔を見せながら踊っています。ようやく今まで気づかなかったことに気付いていっているようです。
しかし、舞台袖から昔の自分がナイフをもって待ち構えています。
ショウが終わり、拍手に包まれる中、昔の自分がナイフを突き刺しました。
昔の自分は生気を失った表情に変わり、そのまま二人でダンスをしながら移動していきます。
向かった先はつぶれた喫茶店。フィクションを続ける自分だけが中に入り、コーヒーを飲んで笑顔をみせて終わります。
恐らく、つぶれた喫茶店に入るということは、フィクションを続ける役者としての彼は死んでしまったということを
示しているのだと思います。そして、そんな彼は唯一愛を突き付けていた存在である。だから彼を殺したことによって
昔の自分も生気を失ってしまったのだと思います。
MVも含めてこの曲はフィクションに対する虚しさと素晴らしさを唄った曲なのかなと思いました。