でね、僕の中学の頃には絶対に教えなかった記述が今の公民教科書にはあるんです。
そう、それがメディアリテラシーについてなんです。時代を感じますね~。
東京書籍の『新しい社会公民』はメディア・リテラシーの重要さについて、かなり詳しく言及しています。
例えば、「マスメディアは世論を誘導していくことが可能です」とか、
「マスメディアの機関は、政治についての特定の意見や主張をもっている場合が多くみられます」とかね。
こういったメディアリテラシーを中学でしっかり教えることは良いことですよね。
だってね?新聞なんか分かりやすいけど、同じ事件や政治的な内容について、
朝日と読売では真逆のことを堂々と主張してるのが当たり前ですし、
例えば皇室(皇統)問題なんか、産経は『万世一系の男系を堅持すべし❗』なんて実現不可能な妄言を主張すれば、
朝日なんかは『女性宮家の創設』果ては『女性天皇を視野に入れるべきだ❗』
という割りと現実に沿った主張ですし。
でも現実、ほとんどの大衆は新聞なんて一紙しか取ってませんよね?
僕みたいに暇さえあれば各新聞誌のWebアプリを見比べるのが楽しいなんて奇特な人はいるんだろうか?
メディアリテラシーって一般的には誤報だったり、報道被害について語られがちですけど、
僕が世の中の教育者に求めることは、マスメディアの情報なんてのは、
一見事実かも?と思っても、それを鵜呑みにせず、常に疑って、
いつでも批判できる眼を持てる大人になれるように導いて欲しいってことなんです。
勿論僕たち親もね。やっぱり「疑う」「疑念を抱く」という視点を失ってしまうと、
世論なんて簡単にマスメディアによって操られ、都合よく利用されるんですよ。
それは、皆さんもコロナ渦のバカ騒ぎで体験済みですよね?
ひとつの媒体でしか情報を得ない人は本当に危険ですよ。
そういった人々が集団になると、途端に弱者を差別、排除したりバカなことが始まります。
これもマスク警察やワクチンハラスメントなんかが良い例です。
マスコミはひとつじゃないです。一体何が信頼し得る情報かを見極めて、
比較をして、それで初めて自分の意見・主張を公にできるはずなんですよね。本来は。
その意味でメディア・リテラシーを吟味する勘を子供の内から養うことは、
今や下手な勉強なんかよりも、ずっと大切なんじゃなかろうか?
公民教科書。もし、このブログを読んでくれた方で、お子様がいらっしゃれば、
ぜひ一度読んでみて下さい。けっこう楽しめますよ。
それでは、また🙋