どうも、こんにちは👋
歴史好きな僕にとっては、毎年楽しみにしている大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も
佳境に入って来ました。僕は、三谷さんの脚本は昔から大好きなので、
面白いのはわかっていましたが、特に菅田将暉の演じた、
精神がブっ壊れた義経が強烈でしたね。これから最終話に向けて、目が離せません。

僕は小学校の頃から歴史については、貪るように学んできました。
最初は『学習まんが』的な、弥生時代から現代までを簡単に漫画化した本から始まって、
時代小説、歴史小説を読みまくり、織田信長を好きになったら
戦国時代の考察本や信長と敵対した、天台宗や本願寺に代表される当時の仏教について
徹底的に読みあさりました。高校時代には、長野の田舎の書店じゃ手に入らない
レアな専門書を買うためだけに、特急しなのに乗って三時間かけて
新宿の紀伊国屋書店まで行ったり、新撰組が好きな時は、
東京日野の土方歳三記念館まで行ったくらいでした。今思うと単なる歴オタですね。
そんなわけで中学~高校時代には、社会科の教師にも負けないくらいの
歴史的知識はあったと勝手に自負していました。
以来25年、僕はモノを考える時には、常に歴史を意識しています。
僕が歴史を学んで1つ悟ったことでもあるんですが、
歴史を知るってことは、世界を知ることに繋がり、更に自分自身を知るってことなんです。
例えば鉄砲伝来について学校の授業で習う日本史では、
1543(天文12)年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝えました
と、サラッと教えて終わりです。
これじゃ、学んでいても楽しくないし、第一歴史嫌いを生産しているようなものです。
『なぜ、そんな場所にポルトガル船がウロウロしていたのか?』
または、『幕末になぜ欧米列強が揃って日本に開国を迫ったのか?』なんて疑問も、
16世紀のヨーロッパの覇権争いを調べたら、全ての糸が繋がるように理解できますし、
南北戦争を勉強したら、アメリカが幕府に執拗に開国を迫る理由だって理解できます。

宗教についても、イスラム教とキリスト教は本来同じ神様ってことがわからないと、
なぜ十字軍に代表される壮絶な殺し合いが何百年も続いたのかもわかりません。
いくら知識だけ詰め込んでも、『知った』と『悟った』は違う次元なんですよね。
で、これは大事なことなんですけど
『自分がもしその時代に生きていたら、どうするのか?』
っていう自問自答を常に考えながら歴史を学ぶと、過去の偉人に対する
リスペクトもより大きくなります。今の学校の歴史教育って、
試験に特化した記号暗記になってるんですね。
授業日数の減少から
教科書はペラっペラで、読んでも全く面白味がないんですよね。
まぁ現実的に試験を考えたら、その方が暗記するには機能的で合理的なのはわかりますが、
それじゃあまりに人々が紡いできた歴史を軽視していると思うんです。
それと、歴史を学ぶ為に必要なことは、歴史・過去の偉人に対する
真摯な謙虚さを忘れないってことです。
この謙虚さがないまま、歴史を中途半端に学んでしまうとどうなるかっていうと、
韓国人に対する極端な排他主義を主張するネトウヨになったり、
「日本は中国人や朝鮮人を大虐殺した犯罪国家だ❗」なんてことを叫ぶ
単なる反日サヨクになってしまうんです。
もし、『歴史に対する真摯で謙虚な態度って何?』って疑問に思った方がいたら、
天皇陛下を見たら理解できると思いますよ。
毎年夏、天皇陛下は心から安寧を祈って、戦没者を慰霊されますよね?
あの姿こそ、歴史に対する真摯で謙虚な佇まいだと思うんですよ。
僕は特別皇室や天皇を敬っているわけではないです。尊敬はしていますけど。
でも、日本の歴史を勉強している方ならわかると思いますけど、
天皇のいない日本史は絶対にあり得ないんですよね。
歴史はハマれば最高に楽しいし、一生のライフワークになり得るコンテンツです。
ですが、常に真摯で謙虚な態度で望まないと、そこで得た知識は、
決して自分を助けてはくれません。だって、世相を眺めていたらわかりますもん。
昨今のネトウヨによる失言した芸能人の吊し上げや、
反日サヨクによる悪質な皇室バッシングを見るにつけ、
歴史教育の重要性って、本当に大切なことだと実感しました。
だからこそ、僕はせめて自分の息子達には『歴史』を語ることができる
親になりたいとずっと思ってきましたし、何より息子達にも、
将来自分の子供に繋いでほしいと心から願います。
人と人が紡いできた歴史は、今を生きる僕たちが、真摯に次代に託す。
それが歴史を学ぶことの意義です。
な~んて、堅苦しい長文すみません。勿論、楽しみながら、
あくまでも娯楽として勉強するのが大前提ですよ🎵