どうも、こんにちは⚽
僕の部活、スポーツに対するルサンチマンをグダグダと書きなぐります。
僕は小学校から中学までの約9年間、サッカー部に所属していました。
僕がサッカーを好きになったきっかけは、小学校3年生の時にメキシコワールドカップで
ディエゴ・マラドーナの神憑りな大活躍をみてからです。
小学生の部活は、田舎の弱小校なので練習も楽しくて一日中ボールを蹴っていて、
リフティングとか、昨日できないテクニックが今日はできたりすると、
もっともっと頑張って練習しようと前向きになれましたね。
そのくらいサッカーに夢中になりました。
それが暗転したのが、中学のサッカー部に入ってからです。
中学のサッカー部は、競争率が激しくて入部希望者の3割程度しか、
入部が認めらないほどでしたが、僕は何とかその3割に入り、晴れて入部が認められました。
でも、そこで待っていたのがクソみたいな精神論と無意味な上下関係の
強要だったんですよ。特に顧問の先生は、ひとつミスしたらすぐに
「はい、お前グラウンド20周な❕」と、懲罰を与えます。罰走てやつです。
「けんすい50回❕途中でやめたら最初からやり直しだぞ❕」なんてのも普通でした。
極めつけは「健全な精神は健全な身体に宿るんだ❗」「だからお前は試合ですぐに
ミスするんだ❗」「まずは精神を鍛えなきゃ、試合では使えないからな❕」
「わかったか?ならもう20周してこい💢」
この顧問の先生、とにかく試合中にちょっとミスしたら、親が見に来ていようと関係なく、
思い切り怒声を浴びせます。みんな恐怖でびくつきながら試合をします。
で、「俺のやり方が気に入らないなら、いつでも辞めろ❗」ときたもんです・・・・・
これ今なら絶対に許されない指導ですけど、当時こんな指導は当たり前でした。
僕はこれがトラウマになって、高校ではサッカーをやめました。
この顧問の先生は国体に出たくらいの人で、まさに「健全な身体」をもっていました。
僕は毎日怒鳴られ、懲罰をされながら心の中では毎日『あの野郎~死ね死ね死ね・・・
もう辞める、明日こそ絶対に辞める❗』
と、怨念のように呟いていましたよ😈
ま、内申を上げる為だけに部活は最後まで続けましたけど。
この「健全な精神は健全な身体に宿る」って実は誤用なんですが、
何も知らない中1の僕は「そうか、僕は体力が無くて精神力も弱いから不健全なんだ」
って深刻に悩んじゃいましたよ。でも実際は僕のまわりでは、
それこそジャイアンみたいに身体もでかくて運動も得意な先輩に限って、
自分よりもヘタな同級生をバカにしたり、逆らえない後輩をいじめたりしているのを
何度も目にしましたし、今だって健全な身体そのものって人が暴力に頼って
意のままに他人を従えたり、傍若無人な態度を取る人も多いですよね。
そもそも「健全な精神は健全な身体に宿る」なんて、身障者差別も甚だしいことを、
当時の部活の顧問とはいえ、先生が当たり前に
口に出していたなんて凄い時代ですよ。
なので、これはもう100%僕のド偏見ですけど、
自己アピールで自信満々に
「◯◯のスポーツやってます❕」って満面の笑みで全面に押し出す人は苦手というか、
ちょっと信用できませんね。『はぁ?だから何なのさ?スポーツやって来たからって、
あなたが健全な精神だなんて、これっぽっちも思っちゃいねえよ❗』
と、心の中で小さ~く呟いています。まぁ僕のこの思考もしっかりと不健全ですが😅
むしろ、不健全な精神は、健全な身体に宿るこれでいいですよ。
こうやって教えてくれた方が、まだ現実的ですね。勿論、今の時代ではどちらの考えも
アウトになると思いますけど。でも真理は突いていると思いますよ。
運動は確かに「健全な身体」を作るかも知れません。でも運動によってこそ
心身が鍛えられるという、いわば身体と精神の相互依存なんて考え方は
ほんと、くだらないと思う。スポーツは自分が楽しいからするんです。自己満です。
スポーツやっているってだけで、やらない人よりも一段上にマウント取りたがるのは、
マジでやめて欲しいですよ。特に男性諸君❗❗